「砂川事件判決」とは何か | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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砂川事件判決(最高裁1959.12.16)
原判決を破棄する。
本件を東京地方裁判所に差し戻す。
 
理   由
 
 原判決は要するに、アメリカ合衆国軍隊の駐留が、憲法9条2項前段の戦力を保持しない旨の規定に違反し許すべからざるものであるということを前提として、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約3条に基く行政協定に伴う刑事特別法2条が、憲法31条に違反し無効であるというのである。

1.先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。(中略)
 そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

2.次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
 しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和27年4月28日条約5号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。(中略)わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。(中略)
 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。

3.よって、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその3条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であって、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となってあたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約1条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によって引き起こされたわが国における大規模の内乱および騒じょうを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなっており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。(中略)
以上の事実に徴し、米軍の配備を規律する条件を規定した行政協定は、既に国会の承認を経た安全保障条約3条の委任の範囲内のものであると認められ、これにつき特に国会の承認を経なかったからといって、違憲無効であるとは認められない。しからば、原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤ったものであり、従って、これを前提として本件刑事特別法2条を違憲無効としたことも失当であって、この点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はその他の論旨につき判断するまでもなく、破棄を免かれない。
 よって刑訴410条1項本文、405条1号、413条本文に従い、主文のとおり判決する。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sunagawasaikousai.htm

・・・これが高村副総裁が、司法が集団的自衛権の判断を行ったと述べた「砂川事件」の最高裁判決です。
これを読むと、憲法9条は個別的自衛権ならびに集団的自衛権の放棄までは求めていないことが理解できます。
 しかし、興味深いのは後段の部分です。
 「安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎にかかわる高度の政治性を有するものが違憲であるか否かの判断は、裁判所の司法捜査権の範囲外にある」
 伊達判決をわずか9ヶ月で覆すために、田中耕太郎最高検察庁長官を通じて当時の内閣が、アメリカ国務省の指揮下で行動していたことを示す文書が、最近の公文書公開により発見されましたので、わが国の存立にかかわる高度の政治性を有するものとは結局のところ・・・アメリカの国益にかなうものであることが判ります。
 「日本が自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、いわゆる侵略戦争を引き起こさないため」にアメリカ軍は日本に駐留しています。自民党内のリベラルな方を含め、多くの識者が心配しているように、自衛隊がアメリカの指揮下でアメリカのために海外へ派兵される事は、この集団的自衛権の解釈によっては「可能」になります。
 そして、安倍首相が「憲法解釈は内閣法制局が担当してきた」そして「それを指揮する権限は私にある」だから「閣議決定で憲法解釈は変えられる」と自信をもって答弁する根拠もまた、この砂川判決にあるのです。安全保障に関わる事については司法捜査権が及ばないのですから、内閣と、アメリカの意向を最もよく知っていると自称している国家官僚たちにとっては、「国家安全保障」と名がつけば、まさしく「フリーハンド」が与えられていると解釈できるのです。
 
 国民は圧倒的多数を自民党に与えました。安倍内閣は本当に自由に振舞うことができます。・・・しかし、今回高村副総裁が触れたこの「砂川判決」は「パンドラの箱」です。これではまるで、1959年当時、日本は法治国家ではなかった・・・と言っているようなものだからです。
 だからこそ、この問題については、もっと国民的議論を深めるべきだと思います。
 パンドラの箱に最後に入っているのは「希望」です。砂川判決には「アメリカ軍の駐留は、わが国の防衛力不足を補うための暫定的な措置」であるとも書かれています。
 そして「終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものである」と結論付けました。それを決めるのは決して国家官僚群ではありません。ひどい判決のようですが、日本から米軍基地を無くす法的根拠もこの砂川判決は持っています。

法政大学大学院 政策学修士
富士市議会議員 鈴木幸司