閣僚になった今感じていること | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 3回目の福島復興再生会議がありました。
「最も厳しい立場の福島の方々に、中間貯蔵施設をお願いするのは、本当に申し訳ありません。ただ、除染をすすめるために、何とか受け入れていただきたい」
何度となく福島の方々を前に、私が申し上げてきたことですが、この話をする度に、苦い澱のようなものを感じています。
「細野さんが福島で謝っている姿をよく見ますが、どういう立場でお詫びをしているんですか?」
 先日、ある記者から受けた質問です。実は、私自身、このことを3.11以降、何度も自問自答してきました。

「大臣として国家を背負ってお詫びしている」
というのが私の答えです。

 私のような若造が「国家を背負う」などというと、生意気に聞こえると思いますが、現実として受け入れるには、あまりに過酷な事態を前にしたとき、私の個人的なお詫びの言葉など、何の意味も持たないことは明らかです。福島の皆さんを前にしたとき、政権が自民党だろうが民主党だろうが、閣僚が原発政策に関与してしてきたか否かも、全く関係ありません。
 国策として進められてきた原発政策の結果として、福島の方々がこれほどの苦しみを受けている以上、問われるのは、ただ一点、国家としての責任です。
 かつて、先輩の閣僚が、国家を背負うことの重みを語っていたのを聞きましたが、当時の私にはピンと来ませんでした。閣僚になった今、私が感じているのは、若いときに想像していた高揚感も華やかさもなく、あの「苦い澱のような」感覚です。閣僚とは、元来、そのような立場なのかもしれません。
(1/9◎細野豪志)
ある意味間違いなく、今「国家を背負って」仕事をしているのが、細野豪志その人だろう。
私たち静岡5区の有権者は、みんなそう思っている。
というか、福島に原発を誘致した自民党になり代わってお詫びをしている彼の姿を見れば、誰もがそう思うはず。
今後自民党は民主党政権の「正統性」を問おうとするだろうが、それは自らの過去を棚に上げる行為だ。 
 
自民党役職停止中の河野太郎さんが1月8日のブログで
http://www.taro.org/2012/01/post-1141.php 
「厚生年金に関しては、2004年に大改革が行われ、「100年安心」年金ができたことになっている。もちろん、それは真っ赤な嘘だ」
と書いた。 

民主党は自民党政権との「連続性」のために苦労しているのだ。
大阪の橋下さんのように、思い切って「連続性を断ち切る」事も可能だったかもしれないが、それを企図した小沢さんが、いまどんな目にあっているのかを見ると、実行部隊をもつ官僚の巨大な権力の前で、立法府のか細さを嘆かずにはいられない。
ねじれ国会は、立法府の持つ根源的な力を弱めてしまっている。
それというのも民主党の「思い上がり」が原因なのだが、
参院がねじれた段階で、民意は連立の組み換えを要求したのだと捉えるべきだったのではないだろうか。
 
自民党政権末期から7人連続で短命政権が続いている。
これは政治家の問題ではなく、政治システムの問題なのだと考えなければ説明がつくまい。
 
谷垣さんは、解散に追い込むと意気込んでいるが、
ここで自民党が政権を奪取しても、参院のねじれは残ったままだ。
衆議院の比例を80議席削減するというのならば、思い切って参院はブロックごとの完全比例区にするなど、小政党に配慮したシステムの変更が必要だろう。
少数意見を抹殺するようなシステムは、民主主義の自殺といっていい。
樋渡武雄市長が提案した、ドイツ連邦議会を参考にした「県知事と政令市長」による参院区というのも一つのアイデアだ。

3年に一回、参院選ごとに連立の組み換えをし、小政党にイニシアチブを与えなければ、日本の航海は順調には進むまい。
日本人は、一党独裁を許さない柔軟な精神をもっている。

富士市議会議員 鈴木幸司