千樹寺の御朱印 | お多福豆のブログ-御朱印巡りと花の旅-

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寺社巡りの旅をするお多福豆一行。
津々浦々、風に吹かれるかの如く気の向くままに。
旅の思い出を綴りました。
寺社巡り・御朱印・季節の花々・お土産・郷土料理・・・etc。
更新は不定期ですが、よろしくお願いいたします。


千手寺の御朱印。
読み方はセンジュジ。
通称、観音堂。
びわ湖百八霊場第67番札所です。

参考)お多福豆のブログ:押立神社の御朱印
千樹寺の近くにある押立神社(東近江市)について書いたブログです。
記事の下の方に「豊郷小学校」についてまとめてありますので、お時間のある方はもし良かったら読んでくださいね。
アニメの「けいおん」好きな方にもどうぞ。


千樹寺付近の路地。


山門はなく、境内は公園と一体化していました。


鐘楼。


本堂。
御本尊は聖観音様。


牛若丸と弁慶の絵。
本堂の中に飾られていました。



石碑。


千樹寺は江州音頭発祥の地だそうです。


一見すると公園かと思ったお寺の境内にある広場の部分で毎年盆踊りを行うそうです。

かつて千樹寺は奈良時代に行基が創った四十九院のひとつでした。
当時は同町内にある四十九院のひとつの「唯念寺」と同様、大きなお寺だったようです。
しかし戦国時代になると・・・。
そうですあの人が現れます。
お寺を焼き討ちにすることが大好きな織田信長。
無論、千樹寺も例外ではなく焼き討ちに遭いました。
行基の頃の伽藍は信長によって焼失し、その後再建されたものも大火に遭って焼失し、現存するものはその後また再建されたものです。

江州音頭は一度目の再建の頃の話です。
千樹寺は信長の焼き討ちに遭いなくなりましたが、近江商人の藤野喜兵衛の先祖である「太郎右衛門」が再び建てたと言われています。
再建された新しい伽藍の完成を祝う落慶法要でが行われました。
その時、当時の住職が境内にたくさんの人形を並べ、お経に音頭の節を付けて歌い踊り出しました。
それを見ていた人々も面白くなって住職の真似をして踊り、やがて夜通し踊っていたと言われています。
これが「江州音頭」の始まりだそうです。

やがてもう一度千樹寺は焼失します。
この時は藤野喜兵衛から数えて2代目の「藤野四郎兵衛」が再建しました。
この時に八日市から唄づくりの名人を招いてお経の文が誰でも分かりやすいように盆踊りの唄につくったと言われています。
そして絵日傘・扇を持って踊るようになったことから絵日傘踊り・扇踊りとなり、現代に伝わる華麗な江州音頭となりました。




江州音頭の説明が書かれた石碑。





江州音頭保存会のホームページ

場所:滋賀県犬上郡豊郷町下枝111

最寄駅:近江鉄道本線豊郷駅