かつての僚友(仕事仲間のこと)が、高山右近に温情をかけます。キリシタン仲間の「小西行長」(こにしゆきなが)にかくまわれ、肥後国(現在の熊本県)や小豆島(現在の香川県小豆郡)で暮らしたあと、最終的には加賀国(現在の石川県南部)の「前田利家」に預けられることになったのです。

対外的には、「前田家」での謹慎という名目でしたが、実際は客将として、自由な生活が確保されていました。密かに布教活動を続けながらも、前田利家より禄高15,000石を受け、政治面や軍事面の相談役として、働いていたのです。

なお、高山右近は「関ヶ原の戦い」では東軍に属して加賀国松任(現在の石川県白山市)の「丹羽長重」(にわながしげ)を「浅井畷の戦い」(あさいなわてのたたかい)で撃退。江戸時代に入ってからは、「高岡城」(たかおかじょう:現在の富山県高岡市)の縄張設計を担当し、随所で武将としての手腕も発揮しました。