「弥生」の後に続く「の・そらは」も、ヘブライ語で読むことができます。「の」という文字は、おそらくヘブライ語で「嘆き」「願い」を意味するנה(na、ナ)と考えられます。続く「そら」ですが、これは「苦闘する」「克服する」を意味するשרה(sarah、サラ)が語源になっていると想定されます。その後に接続詞の「そして」を意味する「ו」が続きます。


「みわたすかぎり」は2つのヘブライ語から成り立っています。まず「みわたす」は3つの子音から構成されている言葉であり、ヘブライ語でמות(Mut、ムット)と書きます。これは「死」を意味する言葉です。その「ムット」を語源としたמיותש(miwatash、ミワタシュ)という言葉に注目です。「疲れ果てた」という意味となり、正に「死」に直面することを表す言葉です。

続く「かぎり」は「死」とは逆に、生きることについて語っています。「かぎり」は、「だから」「かくして」を意味するכך(kakh、カク)と、「万歳」「長生き」を意味するיחי(ikhi、イキ)という2つのヘブライ語から成り立っている言葉と考えられます。


「かすみ」とはヘブライ語で預言を示すקסםkesem、ケセム)と考えられます。この言葉は聖書時代においては、預言を意味していました。その「ケセム」が多少訛って「かすみ」と発音されるようになったと考えられます。そして「かすみ」を預言と解釈することにより、次の「くもか」という言葉の理解に自然と繋がることがわかります。

「くもか」の「くも」は、ヘブライ語で「立ち上がる」を意味するקוםkum、クム)と解釈できます。この言葉は、「預言が成就する」という意味に解釈することもできます。よって、「かすみか」に上手くつながる表現となります。また、「かすみか」「くもか」双方の語尾となる「か」は、「だから」「そう」を意味する言葉です。「かすみかくもか」の意味が明らかになってきました。この言葉には、「そして預言が成就した」という信仰の思いが込められていたのです。


神が存在し、その方が闘い、死を克服して長生きをする、というテーマが見えてきます。死に打ち勝ち、生きるということは、死んでも蘇ったことを意味しているのです。

つまりこのさくらさくらという歌はイエス・キリストの復活を意味した歌だったのです。

(次回に続く)


マルコによる福音書 9:31 新共同訳

[31] それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。