イエスと聖徳太子の類似を早くから指摘したのは、明治・大正時代に活躍した歴史学者・久米邦武(くめくにたけ/1839~1931)です。久米は『上宮(じょうぐう)太子実録』(1905年刊)のなかでこの問題に言及し、飛鳥・奈良時代に中国に渡った僧侶が、当時、西域(さいいき)をへて中国にまで伝わっていたキリスト教のことを知り、聖書のイエス伝を太子伝に付会したと考えるのは決して荒唐無稽なことではない、と指摘しています。

久米邦武は近代日本の歴史学における先駆者として知られる

 たしかに、景教(けいきょう)と呼ばれたキリスト教ネストリウス派は、7世紀前半には中国に伝わっていたらしく、長安には教会も建立されていたようです。したがって当然、日本からの遣唐使が景教に接する機会もあったと考えられます。

 しかし、久米の見方には問題もあります。イエスが馬小屋で生まれたというのはじつは後世になって定着したイメージだからです。新約聖書(「ルカ福音書」)をよく読むと、「(宿屋に寝るスペースがなかったので)マリアは産んだ男の子を産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とあるだけで、「馬小屋」は登場していません。

 イエスが生まれた時代、ベツレヘムのあたりでは人と家畜が同居するスタイルの家屋が多かったという。もう一つは同様に家畜や遺体を安置した洞窟という説もあります。

マリアが仮の宿とした家もその類(たぐい)だったのかもしれません。つまり正確を期せば、イエスは「厩舎(きゅうしゃ)」で生まれたとは言えないのです。