相撲では、力士が立ち合いの前に、塩を土俵にまきます。
この塩を「清めの塩」 といいます。 これは、土俵を清めて邪気を祓い、 力士の安全を祈るためのもの。 それから、これはあまり知られていませんが、 相撲ではまき塩以外にも塩が清めに用いられてい ます。
昔はご遺体の腐敗を防止するために塩を用いたそうです。 昔の人はその朽ちていくさまを少しでも抑える効果がある(穢れを祓う効果がある)塩を神聖なものだと考えました。 今でも食品などを長期間保存するのに塩を用いたりしています。
我が国の相撲の起源としては、古事記(紀元前712年)や日本書紀(紀元前720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられています。
神道では、清めの塩には身を清めるという意味があり、死を穢れとして考えます。 葬儀に参加すると穢れが体に移ってしまいますが、その穢れを家に持ち込まないために塩を使います。 神道では故人を穢れとするのではなく、死に寄り付く邪気を祓うとして考えています。
神道の成立は、7世紀に律令体制とともに成立したとする説。
8-9世紀に朝廷において「神道」の自覚が生まれ成立したとする説
11-12世紀の院政期に地方に神道意識が浸透して成立したとする説
15世紀に吉田神道の創始をもって成立したとする説
の、主として4説が存在するとしています。つまり旧約聖書は神道よりかなり古い歴史になります。
聖書の記述では、
士師記 9:45 口語訳
アビメレクはその日、終日、町を攻め、ついに町を取って、そのうちの民を殺し、町を破壊して、塩をまいた。
士師の期間は紀元前約1052年年です。
古事記より700年以上前の記録です。
ギデオンの息子、アビメレクは、その日、一日中、シケムの町で戦い、この町を攻め取り、そのうちにいた民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまいた。
シェケムの町の中にも入り、塩をまいて、もう再建されないことを示した。
ここで塩で浄めたわけです。
列王記下 2:21-22 口語訳
エリシャは水の源へ出て行って、塩をそこに投げ入れて言った、「主はこう仰せられる、『わたしはこの水を良い水にした。もはやここには死も流産も起らないであろう』」。 こうしてその水はエリシャの言ったとおりに良い水になって今日に至っている。
預言者エリシャの時代は、紀元前約900年頃。つまり古事記より200年前の出来事です。この時の塩は水を浄める効果を明記しています。