表紙
裏表紙
「日本の貨幣(収集の手引き)」と同サイズ。
貨幣手帳 1972年版 定価350円
昭和46(1971)年8月1日 発行;162p 21cm
ボナンザの別冊だったのね
①皇朝銭の時代
西暦708~958年の250年間
(和銅元年~天徳二年)
(和同開珎の鋳造開始〜皇朝銭の鋳造停止)
以下の15種のうち銅銭12種を皇朝十二銭と呼ぶ。
[飛鳥時代]
(708年)
わどう・かいちん
和同開弥(銀貨と銅銭)
[奈良時代]
(760年)
かいき・しょうほう
・開基勝宝(金貨)
たいへい・げんぽう
・太平元宝(銀貨)
まんねん・つうほう
・万年通宝(銅銭)
(765年)
じんぐう・かいほう
・神功開宝(銅銭)
[平安時代]
(796年)
りゆうへい・えいほう
・隆平永宝(銅銭)
(818年)
ふじゅ・しんぽう
・富寿神宝(銅銭)
(835年)
じょうわ・しょうほう
・承和昌宝(銅銭)
(848年)
ちょうねん・たいほう
・長年大宝(銅銭)
(859年)
じょうえき・しんぽう
・饒益神宝(銅銭)
(870年)
じょうがん・えいほう
・貞観永宝(銅銭)
(890年)
かんぴょう・たいほう
・寛平大宝(銅銭)
(907年)
えんぎ・つうほう
・延喜通宝(銅銭)
(958年)
けんげん・たいほう
・乾元大宝(銅銭)
平安時代の10世紀には銅不足が顕著となり皇朝銭は鋳造停止され、稲米・布帛などの自然貨幣時代に戻ってしまう(約200年間続く)。
②渡来銭の時代
西暦958~1670年の約700年間
(天徳二年~寛文十年)
(皇朝銭の鋳造停止〜渡来銭使用禁止令)
(平安時代〜江戸時代(四代将軍 綱吉))
平安時代末期には日本国内の商取引きも盛んになり銭貨が必要となり、当時の宋商人の相次ぐ来航に伴って渡来銭の輸入も盛んに行われるようになった。
この輸入は平清盛の政権掌握とともに急激に増え、その後も引き続き大量に輸入され、広く使用された。しかし経済活動が盛んになると渡来銭だけでは追いつかず私鋳銭や模造銭が作られるようになる。
宋王朝は北宋時代・南宋時代、合わせて300年近く続く王朝であるが、当時の経済の発展と南方における銅山の発見に支えられて建国早々から銭貨鋳造事業に熱心で、北宋時代(960〜1127年)だけで、千枚の銭貨を束ねた貫文束が2億7千万個も生産された。
日本国内で発掘された渡来銭の一覧
1998年までに確認された日本国内の出土銭種は、多いものから順に、
第1位・皇宗通宝(1039年初鋳)北宋
第2位・元豊通宝(1078年初鋳)北宋
第3位・熙寧元宝(1068年初鋳)北宋
第4位・元祐通宝(1086年初鋳)北宋
第5位・開元通宝(621年初鋳) 唐
である。
日本の大量出土銭の総数は、
出土事例275件:約353万枚に上るが、上記の第1~4位の4種だけで、日本の大量出土銭全体の約8割(282万4千枚)を占める
③徳川幣制の時代
西暦 1601〜1871年の約270年間
(慶長六年~明治四年)
(慶長小判の鋳造開始〜新貨条例制定)
(江戸時代〜明治時代)
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦に勝利をおさめ天下統一の偉業を遂げた徳川家康は、江戸や京に金座と銀座を設け、金銀貨を一定の規格のもとに量産して、全国的な貨幣制度を布き、貨幣単位として両・分・朱・文を正式に採用した(慶長の幣制)。寛永3年(1626年)に寛永通宝の鋳造が開始され、金・銀・銭の三貨の幣制が確立して江戸幕府の260年間、その制度が引き継がれた。
④近代貨幣の時代
明治元年(1868年)4月、明治新政府は貨幣の全面的な改鋳に着手したが、財政的に余裕がなく、幕府から接収した金座、銀座、銭座を利用して二分金、一分銀、一朱銀、天保銭、寛永鉄銭などを鋳造して当座の用に当てていた。この間に、たまたま廃局になった英国の香港造幣局の機械設備を大阪に移して造幣局を建設し、外国人技術者の指導のもとに洋式貨幣鋳造の準備を整え、明治4年(1871年)5月の新貨条令公布を待って洋式貨幣が発行された。
明治元年(1868年)1月
神祇、内国、外国、海陸軍、会計、刑法、制度の七科を設置する官制を発布
明治元年 4月
会計官中に貨幣司(貨幣局)を設置し、貨幣司支署を大阪長堀に置く
明治2年(1869年)2月
貨幣司を廃止し新たに太政官中に造幣局を置く
明治2年 4月
造幣局を会計官に転属
明治2年 6月
会計官を廃止し大蔵省を置き、造幣局を造幣寮と改め大蔵省の所属とした
明治3年(1870年)11月
新貨幣の製造開始
以下、広告の頁をピックアップ
現在は明治時代の工芸品で有名な宝満堂
日本貨幣商協同組合員の店がコインのクリーニングをしていたのか🙄
大判の色揚げと墨判の書き直しまで堂々とやっていたのか😅















































