根津神社/東京都文京区 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

基本情報

神社名:根津神社

御祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命

相殿神:大国主命・菅原道真公

社格等:准勅祭社・府社

鎮座地:東京都文京区根津1-28-9

最寄駅:根津駅・千駄木駅・東大前駅

駐車場:境内に25台分あり (参拝者は無料)

御朱印受付時間:10時00分~16時00分

公式サイト:https://nedujinja.or.jp/

 

御由緒

 今から千九百年余の昔日本武尊が東夷征定の途次、武神須佐之男命の御神徳を仰ぎ千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間(1469~87)には太田道灌が社殿を奉建しています。
 神仏習合の時代には、根津権現社と呼ばれ、御祭神素盞烏尊(本地:十一面観音菩薩)、相殿に山王大権現(本地:薬師如来)、八幡大菩薩(本地:阿弥陀如来)を祀り、根津三社大権現と呼ばれていました。
 現在地は江戸時代、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の三男、六代将軍家宣の父)の山手屋敷であり、のちに六代将軍となる綱豊(家宣)の生誕の地でありました。宝永2年(1705)五代将軍徳川綱吉が兄綱重の子綱豊(家宣)を養嗣子に定めると、家宣の産土神である根津権現社にその屋敷地を献納、現在の社殿を奉建し、千駄木の旧社地より遷宮、永代社領500石を寄せています。
 明治時代には、神仏分離令によって社名を根津権現社から根津神社に改称し、明治天皇御東幸にあたっては准勅祭社と定められ、御勅使が国家安泰の御祈願をされています。
 昭和20年戦禍により社殿の一部に損害を受け、復旧工事をし昭和34年に竣工しました。引き続き、唐門、透塀、楼門の修繕も行い、昭和37年に完成、宝永の昔さながらの威容が復活しました。

公式サイトより

 

御朱印

初穂料:500円

 

御朱印帳

桃色地に当社の楼門と千本鳥居をデザインしたもの、黒地に当社の社紋をあしらったものなどオリジナルの御朱印帳を複数用意。サイズは16cm×11cmと思われ、初穂料は朱印料込みで1,500円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

境内案内

下町風情が残る「谷根千(谷中・根津・千駄木)」エリアに鎮座。近くには東京大学との学術施設なども立ち並ぶ。。
 
大きな社号碑には「元准勅祭社」と刻まれており東京十社であることが分かる。
 
鳥居を潜り参道を進むと神橋。
 
神門を渡った際には立派な楼門。徳川家継の宝永3年(1706)に造営されたものが現存。
 
境内左手には彫刻の素晴らしい神楽殿。
 
随神門と唐門の間には手水舎。鉢には卍が彫られており、神仏習合時代の名残が窺える。
 
拝殿前には唐門。こちらも宝永3年(1706)に造営された。
 
狛犬は大正元年(1925)に奉納され、戦火を免れたもの。
 
よい形をした凛々しい姿である。
 
朱色が美しいバランスの取れた美しい造り。
 
千本鳥居が連なる姿が目を引く乙女稲荷神社。
 
手前には小川、春にはツツジ、秋には銀杏が美しく咲く人気の撮影スポットとなっている。
 
駒込稲荷神社は元甲府藩主の徳川綱重の邸内社が当社に移されたもの。
 

参拝を終えて

古くから根津地域の鎮守として親しまれてきた当社。江戸時代には幕府からの手厚い保護を受け、地域のみならず江戸全体にとって重要な神社としてその名を広く知られるようになる。その様子は現在も変わらず、氏子をはじめ都内から多くの参拝者を神社となっている。広い境内には神仏習合時代の名残も数多くあり、大変興味深い参拝となった。

 

地図

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