佐助稲荷神社/神奈川県鎌倉市 | Goshuinnistの神社巡り

Goshuinnistの神社巡り

ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:佐助稲荷神社

御祭神:宇迦之御魂神・大己貴神・佐田彦命・大宮女命・事代主命

社格等:ー

鎮座地:神奈川県鎌倉市佐助2-22-12

最寄駅:鎌倉駅(かなり距離あり)

駐車場:なし

御朱印受付時間:10時00分~16時00分

公式サイト:https://sasukeinari.jp/

 

御由緒

 源頼朝は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍です。 河内源氏の源義朝の三男として生まれました(1147年)。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆、蛭ヶ小島へ流され、後に北条政子と結婚。そこで頼朝が病気に臥せっていた際に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち平家挙兵を促しました。そして頼朝は1180年8月に北条氏など東部の武士と協力し平家打倒の挙兵に踏み切ります。その後紆余曲折はありましたが、1185年弟の範頼、義経らに命じ「壇之浦の戦い」で平家を滅ぼしました。源頼朝は後の1192年に幕府を開き北条時政らの縁者や大江広元などの京都出身者を側近にし、幕府を運営しました。また、頼朝の御家人となった全国の武士によって幕府は支えられましたが、特に東国御家人たちの頼朝に対する信頼は厚いものでした。 頼朝は幕府の本拠地を鎌倉に定め,彼自身ほとんどその地を出ることはありませんでした。

 社伝によると建久年間、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝が畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て稲荷神社を再建させたと伝えられています。(建久1190~1199)頼朝は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われています。佐助稲荷神社は頼朝が旗揚げの後征夷大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集めています。

 当時、開山良忠上人は佐介ヶ谷に住まわれていました。ある時、子供に虐められていた子狐を助けました。すると夢に親狐が現れ、悪病が流行る事を告げ、子狐を助けたお礼と共に薬種袋を残していったという事です。翌朝枕元に薬の元である種子があり、上人はお告げに従って種子を蒔くと3日の内に成長し、この薬草で多くの人の病を治しあがめられました。これは佐助稲荷のご利益だと考え、以来佐助稲荷に参詣するのが良いと人々に教えました。このことから、佐助稲荷では一対の白狐を供えて願を掛けるようになったのです。

公式サイトより

 

御朱印

初穂料:500円

 

御朱印帳

青地に千本鳥居と稲荷信仰の神使である狐が描かれた当社らしいデザイン。サイズは16cm×11cmで初穂料は1,500円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

最寄駅である鎌倉駅からは徒歩約30分と奥まった位置に鎮座。
 
参道途中には社号碑。足元に置かれた狐の置物がかわいらしい。
 
山の緑と鳥居の朱色の対比が美しい見事な千本鳥居。
 
階段を上りきったところに社殿。旧社殿は令和元年の台風で倒壊したため、筆者が訪問した際には建て替え工事中であった。
 
拝殿右手には霊狐泉。水が湧き出ており、古くより田畑の用水として利用されてきた。
 
こちらには江戸時代に足柄の尼寺から移された十一面観世音菩薩。毎年5月18日に御開帳なさる。
 
社殿左手には苔むした多くの小祠。たくさんの神狐が奉納されており、神秘的な雰囲気が漂う。
 
拝殿前にも複数の小祠。
 

参拝を終えて

源氏山の麓に鎮座する当社。他の社と異なりあまり観光客が訪れないような場所にあるため静かな雰囲気のなかで参拝することが出来た。境内の至る所に緑があり、なかにはほどよく苔むした石碑なども数多くあるため、まるで時間の止まったアニメの世界に入ったような感じがした。このような雰囲気を壊さず残していってほしいと思っている。

 

地図

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ