お三の宮日枝神社/神奈川県横浜市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:お三の宮日枝神社

御祭神:大山咋命

相殿神:宇迦之御魂命

社格等:村社

鎮座地:神奈川県横浜市南区5-32

最寄駅:吉野町駅・南太田駅

駐車場:なし

御朱印受付時間:9時00分~17時00分

公式サイト:http://www.osannomiya-hie.or.jp/

 

御由緒

 日枝神社は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられましたが、今では「お三の宮」「お三さま」と広く親しまれ、崇め称えられています。

 これは、山王宮→山の宮→おさんの宮と転訛したこと、更には《お三人柱伝説》を付会して「お三の宮」と書かれ呼ばれるに至りました。

 現在の横浜市の中心部、中区と南区に亘る大岡川と中村川、それからJR京浜東北・根岸線からお三の宮所在地まで(関外地区)の広い範囲は、釣鐘の形をした入海でしたが、今からおよそ350年前に、江戸幕府並びに諸大名の御用達として広く石材木材商を営んでいた吉田勘兵衛良信という商人が、この入海を埋め立て新田を築きました。(=吉田新田)

 この大工事は、明暦二年七月十七日に鍬入れをしましたが、翌年の五月十日より十三日に亘る集中豪雨の為に失敗に終わります。しかし、万治二年二月二十一日に再度試みて、寛文七年、十一年余りの歳月と八千三百八両の巨費により、市内最古で最大規模(およそ三十五万坪)を誇る新田開発を成し遂げることが出来たのです。

 そこで勘兵衛は、新田の要処である大岡川と中村川の分岐点に、寛文十三年(1673)九月、新田の鎮守として、新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、江戸の山王社(今の旧官幣大社日枝神社)より勧請し、山王社と併せて稲荷社を創建したのであります。

 この御由緒により『横浜開拓の守護神』として、氏子をはじめ横浜の普く人々に御崇敬を戴いているのです。

頒布のリーフレットより

 

御朱印

初穂料:500円
※兼務社の吾妻神社の御朱印もいただける。

お三の宮日枝神社 旧御朱印

お三の宮日枝神社 現御朱印

お三の宮堰神社
 

御朱印帳

紫地に、当社の社宝である「千貫神輿」。裏には山王信仰の神使である神猿がデザインされたもの。大判サイズで、朱印料やビニールカバー料は別である。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

吉野町駅と南太田駅のちょうど中間あたりに位置する。立派な石造りの山王鳥居が聳え立つ。

 

鳥居をくぐると迫力のある一対の獅子山。

 

一見、なんの変哲もない獅子山に思えるが、当社の獅子山は全国でも珍しい砲丸持ちである。

 

鳥居左手には立派な手水舎。新たに建立されたばかりで、筆者訪問時は使用開始前であった。

 

参道途中の右手には招魂社。当社氏子のうち軍属にあった者の祖霊を祀っている。

 

境内に横浜市指定の名木古木が数多く存在することも当社の見どころの1つ。

 

社殿左手にはケヤキ。

 

参道左手にはクスノキ。後ろに見える建物は当社が運営する幼稚園で、境内は幼稚園の園庭としても利用されている。

 

参道を進むと立派な造りの社殿。清潔に整備された社殿は派手な装飾がない分、どっしりとした印象を受ける。

 

当社右脇には堰神社。日枝神社境内とは繋がっておらず、境外末社という扱い。

もとは用水堰の守護神であったことから、現在ではそれが転じて咳の神様として崇敬を集めている。

 

参拝を終えて

 大岡川のほとりに鎮座する当社。歴史をみると、江戸時代前期の吉田新田開墾の頃まで遡り、横浜と当地域の歴史を今に伝える。境内は広く整備も行き届いており、清々しい気持ちで参拝することができた。また、神道を基にした教育を行う幼稚園も併設されており、子どもたちの元気のあふれる声が聞こえてきた。こうした取り組みも含めて、地域に密着した良社と云えよう。

 

地図

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