久里浜八幡神社/神奈川県横須賀市 | Goshuinnistの神社巡り

Goshuinnistの神社巡り

ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

基本情報

神社名:久里浜八幡神社

御祭神:応神天皇

相殿神:天照大御神・素盞嗚尊・大物主大神・大山祇大神・菅原道真公

社格等:村社

鎮座地:神奈川県横須賀市久里浜2-17-9

最寄駅:京急久里浜駅・久里浜駅

駐車場:なし

御朱印受付時間:9時00分~16時00分

公式サイト:ー

 

御由緒

 日本書紀が書かれた養老四年(720)当時の武人達によって創建されたと伝えられております。

 応神天皇は仲哀天皇と神巧皇后との間の皇子西暦二三九年第十五代天皇であり、大和国と九州を統合し、日本の統一国家の基礎をつくり、その治世に新しい産業文化の育成を図られ、技術導入にも御熱心であったことから、先取的な事、発展的な事に御利益があるとされ、お祀りされております。

 当神社境内から弥生式土器が出土しているので古墳が点在していたことが立証されます。

 特に前方後円墳(たで原遺跡)の発見は当時有力な豪族のもとで稲作が行われていたと思われ、たで原と八幡地区が生活の中心であり最も栄えていたと言われます。

 天正十八年豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めにより三浦の北条氏を滅ぼし鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現久里浜)八幡神社には米三石を寄進され、徳川歴代将軍もこれにならい継承し武運長久祈願に武具などを奉納し幕府の直轄地(天領)と定め米三石、社領約千余坪の御朱印を賜りました。

 その後明治三十一年黒田内閣より「八幡宮」の御名を賜り大正年間神饌幣帛料供進神社に指定、第二次世界大戦後、日本国憲法の制定により戦前の神道が廃止され、御社名がもとの八幡神社と称して今日に至っております。

境内の掲示より

 

御朱印

初穂料:500円

八幡神社 水無月

八幡神社 弥生

海軍工作神社

 

御朱印帳

青色と赤色の青海波に龍の刺繍がされたもの。16cm×11cmと思われ、初穂料は1,300円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

最寄駅は京急久里浜駅、または久里浜駅。尻こすり坂通りを1本入った浦賀警察署近くに鎮座。道路沿いに「八幡神社・八幡町内会館」と書かれた看板もあるのでわかりやすいだろう。
 
社頭には境内での殺生を禁止しているであろうことが刻まれた碑。このようなものは筆者は初見であった。
 
社頭左手にはソテツの木。都心の神社では見る機会は少ないが、南の方の神社では比較的多く見かける植物ではないか。
 
参道右手には手水舎。
 
参拝時はコロナ禍ということもあり、鉢は花で彩られていた。
 
その隣には大きな神輿庫。大きさからして2基ほどあるのではないかと推測できる。
 
社殿前には一対の狛犬。
 
文化8年奉納のものが、現在でもきれいに保存されている。
 

境内を進むと小さな社殿。建立された年代は不明だが、朽ちているところなども見られずきれいに保たれていることが分かる。

 

当社の「八幡宮」という扁額は江戸時代から明治時代の公卿である三条実美公による揮毫。

 

三条実美

Wikimedia Commonsより引用

三条 実美は、日本の公卿、政治家。三条家31代。位階勲等爵位は、正一位大勲位公爵。号は梨堂(りどう)。変名は梨木 誠斉。

幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任した。内閣発足以後の内閣総理大臣も兼任している。

Wikipediaより

 

社殿右側には伏見稲荷神社。

 

当社には横須賀ならではの「海軍工作神社」が鎮座。これは戦時中、この地に横須賀海軍工廠が置かれていたことに由来する。

 

横須賀海軍工廠

横須賀海軍工廠とは、神奈川県横須賀市にあった日本の海軍工廠。幕末に建設された横須賀製鉄所を源流とする。明治初期には唯一の官営造船所として軍艦を建造、昭和期では航空母艦建造の責任工廠でもあった。現在は在日米軍の横須賀海軍施設(通称横須賀基地)となっている。

Wikipediaより

 

海軍工作神社の隣には、猿田彦大神の碑。

 

社殿右手には豊川稲荷。1つの社に2つの稲荷社があるのは珍しいのではないか。

 

境内には明治時代に男性が力比べをするのに用いた力石。

 

参拝を終えて

豊臣秀吉や徳川幕府など、歴代の天下人から篤い崇敬や寄進を賜っていた当社。八幡神社ということで、源氏や多くの武将が祈願したことも納得であろう。現在は当時の影を潜めてこぢんまりとしているが、境内はきれいに保たれており、筆者が参拝した際には境内を掃除している方もおり現在でも地元住民から崇敬されていることが分かる。人間味があふれた良い神社であると感じた。

地図


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ