瀬戸神社/神奈川県横浜市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

 

基本情報

神社名:瀬戸神社
御祭神:大山祇神
相殿神:素戔嗚尊・菅原道真公・徳川家康公・伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉之男命・天照大神・宇迦之御魂神・菊理姫命・木花開耶姫命・味須気高彦根神・建御名方命・猿田彦神
社格等:郷社
最寄駅:金沢八景駅
駐車場:境内裏に2台分あり
御朱印受付時間:9時00分~16時30分
公式サイト:https://www.setojinja.or.jp/ 
 

御由緒

 大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入江でした。

 この入江と平潟湾とは、今日の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。

 そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。

 古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、豊な幸をもたらしてくれる神々をここに祭りました。これが瀬戸神社の起源です。

 神社の隣接地からはすでに古墳時代には祭りが行われていたことを証する祭祀遺物が出土しています。

 瀬戸神社の御祭神が「飛び石」(金龍院という近くのお寺にこの石が残っています。)という岩に乗って出現されたという伝承も、こうした古代の人以来の語り伝えでありましょう。

 鎌倉時代、幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祭り、篤く信仰しました。

 社殿の造営もおこなわれ、今日のような神社の景観ができ上がったのは概ねこの頃のことです。

 以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流の集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。

 ことに江戸時代には徳川家康は社領百石を寄進しています。

 そして武家のみならず、名勝金沢八景の中心の神社として江戸の町民にまで広く崇敬者はひろがり、文人墨客も多く当社を訪れました。

 明治四十年郷社に列格、戦後は宗教法人となり神奈川県神社庁献幣使参向指定神社となっています。

公式サイトより

 

御朱印

初穂料:各500円
※その他、夏詣期間に合わせて限定御朱印あり

 瀬戸神社

 

琵琶島神社
 

御朱印帳

初穂料:2000円
当社が鎮座する瀬戸地域と平潟湾、琵琶島神社がデザインされたもの。18cm×12cmの大判サイズ。

 

境内案内

最寄駅の金沢八景駅からは北へ歩いて5分ほど。国道16号線沿いに見える石鳥居とたくさんの提灯が目印。古くから平潟湾の入口に鎮座する当社。鳥居は再建されたものだが、長年の潮風による影響だろうか、年季が入っていることがわかる。
 
鳥居はから少しはなれたところに当社の社号碑。他社ではあまり見ることのできない、大きな土台の岩と一体化した造り。こちらはまだ新しさを感じる。
 
社号碑は元内閣総理大臣の中曽根康弘氏による揮毫。
 
鳥居をくぐり階段を上ると社殿。現在の社殿は寛政12年(1800年)に造営されたもの。派手な装飾は無いものの歴史の重みと落ち着きを感じる造り。
 
当社は小高い山に面するように鎮座している。様々なところに自然の地形を活かした造りが見られ、当社の社殿とも雰囲気があっているように感じる。
 
境内社が地形に合わせて祀られていることも当社の特徴。写真の青麻社の他にも多くの境内社があり、古くから当社が信仰の中心として信仰を集めていたことが窺える。
 
瀬戸神社の向かい側には、摂社である琵琶島神社が鎮座。瀬戸神社の鳥居とは一直線上にあり、例大祭のときには国道の交通を止めて神輿が担がれる。
 
鳥居の右手には「福石」。源頼朝公が当社を参拝した折にこの石に服を掛けて禊祓したとされ、金沢四名石の1つにも数えられている。
 
金沢四名石
美女石  ー  称名寺  
姥石  ー  称名寺
福石  ー  琵琶島神社
飛石  ー  金龍院
公式サイト→ 金沢の四石・七井・八名木 (横浜市)
 
鳥居をくぐって左手には横浜金沢七福神の弁財天像。七福神の弁財天のなかでも珍しい「立身弁財天」である。
 
横浜金澤七福神
布袋尊  ー  長昌寺
福禄寿  ー  正法院
寿老人  ー  寶蔵寺
恵比寿  ー  富岡八幡宮
大黒天  ー  龍華寺
毘沙門天  ー  伝心寺
弁財天  ー  琵琶島神社
公式サイト→ 横浜金澤七福神 (横浜金沢観光協会)
 
鳥居から真っ直ぐに伸びる参道。国道沿いに鎮座しているが、参道を進むにつれて車などの音はしなくなり、代わりに平潟湾の波の音が聞こえる。まさに現実世界と神域との境目の役割を果たしていると云えよう。天気の良い日の朝夕には境内で太極拳をされている方もみられる。
 
当社は鎌倉時代に北条政子が琵琶湖の竹生島弁財天を瀬戸神社の海中に勧請し創建したとされる。現在では社殿は地上にあるが、周囲を柵で囲まれておりあまり近寄れないことが残念。
 
社殿前には柵がなく、当社の鎮座する平潟湾が一望できる。平潟湾は1年を通してさまざまな魚が釣れるため、地元の漁船や貸し釣りボートが多く係留されている姿を見ることができる。
 
琵琶島神社の上を通るシーサイドライン。金沢八景駅~野島公園駅までは平潟湾を横断するように走行するため、琵琶島神社の社地がよく見える。
 

参拝を終えて

古くから平潟湾の入江の鎮守としての役割を担ってきた当社。太古の昔に湾の流れの険しかった当地を穢を流す神聖な地としてアニミズムと結びつけられてきたことも納得と言える。

筆者は幼い頃、当社の近くに住んでいた経験があり、散歩コースとしてよく当社を訪れては手を合わせていたことをおぼろげながら覚えている。今回、約15年ぶりに再訪すると、駅周辺は再開発により当時の面影はほとんど残っていないが、当社周辺は何も変わらず住んでいた当時のことが蘇ってきた。これから何年経っても、この景色が残っていてほしいと強く思えた訪問であった。

 

地図

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