耳の話 その36 国立時代(22) | 小迫良成の【歌ブログ】

小迫良成の【歌ブログ】

「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

個人レッスンを録音し

後で聴き返しながら復習しようかと

始めてみたのは良いけれど、

あっという間に形骸化してしまった

カセットレコーダーの有効活用…

 

藝大の再受験に向けての鍛錬においては、

このカセットレコーダーを再び取り出し

フルに活用することとなった。

 

レッスンの録音のためではない。

家での練習のためだ。

 

歌唱においては

自分の出している音を

同時に自分の耳で聴いている訳だが、

歌っている自分の耳に聞こえてくる音を

そのまま鵜呑みにする訳にはいかない。

 

そのためにカセットレコーダーに録音し、

その録音された音を聴いて

歌っている最中に聞こえる音との差異を

「差分」として処理し解析していくのだが、

これだけではまだ処理の判断基準が定かではなく、

耳に聞こえる音と実際の音との差異を

正確に把握できてるとは言い難い。

 

そこで、

何人かの知り合いに頼み

同じ環境(つまり私の部屋)で歌ってもらい、

その演奏を直接聴くだけでなく

録音もさせてもらう。

 

直接私の耳で聴いた彼の声と

マイクで録音され

スピーカーから発せられる彼の声、

その差分を

録音された私の声に当て嵌めれば、

私の声を生で聴いた場合に

どのように聴こえるかを

そこから推測することが可能となる。

 

ただ自分が吹き込んだ声を

ただ聴くだけでは駄目なのだ。

 

「まず基準となる定点を作ること」

 

「その定点を目安として自身の声を測ること」

 

歌っている最中の

自分の耳に聞こえてくる音を

鵜呑みにしてはいけない。

 

それは自分の頭蓋の中で

響いている音であって、

客席に届いている音ではない。

 

同じく、

録音されスピーカーから出された

「マイクを通した声」も

鵜呑みにしてはいけない。

 

それは或る条件下(環境下)で

マイクに録音され、電気加工され、

或る条件下でのスピーカーから

出てきた音であって、

自身の口から出た音そのものではない。

 

「差分の処理」

 

この目測を誤ると

カセットレコーダー活用

(実際にはラジカセ活用)よる

「録音・再生・歌唱の調整」のプロセスは

ほとんど意味をなさなくなる。