耳の話 その26 国立時代(12) | 小迫良成の【歌ブログ】

小迫良成の【歌ブログ】

「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

国立音楽大学の2年次、

今までのような

「何となく流されて」ではなく

「自ら獲りにいく」形での

藝大再受験を決心した私が

最初に行ったのは

アパートの引っ越しからだった。

 

ではなぜ、

その環境を最初に求めたのか。

 

 

ピアノの練習時間が

普通で1~2時間、

下手をすると3~4時間。

 

そのうち最初の1時間は

筋トレの意味も含めて

もっぱらハノン。

 

それは単に副科ピアノの

課題をこなすためではなく、

より歌曲やオペラアリアを知り

歌唱における攻めのポイントを掴むためにも

伴奏パートを自分の手で弾く必要があったから。

 

 

歌の練習時間は毎回ほぼ一定で、

フルボイスで2時間以内。

 

歌の先生から与えられた

課題としての歌を歌うのではなく、

自身の手で歌う曲を見つけ出し、

その曲が

「今の自分にとって

 武器として使える曲か否か」

を判断し、選択し、習練し、

鍛造した歌をレッスンに持ち込み

先生を「師」ではなく「審査員」に見立てて

己の判断・選択の実証実験を行うために

最低限必要な時間。

 

足りない場合は

3時間以上の間をおいて

1時間以内のフルボイス練習を追加。

 

それ以上は翌日に疲労が残るので

ここを上限とする。

 

 

レコードは、とにかく聴く。

 

鍛えるべきは、

「喉」以上に「耳」。

 

なぜならば、

インプットの精度なくして

アウトプットの精度は期待できないから。

 

もちろん

国立音大のキャンパスにおいても

もっぱら改修された図書館に入り浸り、

「世の中にはどのような曲があるのか」

「その中で自分のフィールドに合う声楽ジャンル・

 自分のフィールドに合う作品はなにか」と、

自身の知見の拡充に務めていた。

 

‥が、いかんせん

ヘッドフォンでの試聴だけでは

拾いきれないものがあったり、

逆に拾い過ぎるものもあったりして

判断を誤る危険がある。

 

それを補うためにも

下宿のアパートを改造し、

出来得る限り

「スピーカーでレコードを聴ける環境」

を作り出す必要があった。

 

オーディオマニアではないので

音質に拘っているだけではない。

 

単に

「スピーカーとヘッドフォンでは

 聴こえるもの・拾えるものが違うから」

というだけの話。

 

 

そして、

そのいずれもが私にとって

藝大再受験のために必要なものであった。