耳の話 その9 テバルディとディースカウを知る | 小迫良成の【歌ブログ】

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「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

初めて声楽の

レッスンを受けたのは

記憶が確かなら高校2年の秋。

 

当時、

国立音大への進学を考えていた私は

一次志望がトランペット専攻で

二次志望が教育1類だったため、

副科ピアノとソルフェージュを

広島大学教育学部特別音楽科の

作曲の先生に習っていたのだが、

「コールユーブンゲンや新曲視唱など

 歌唱関係の指導は声楽の先生がいい」

という作曲の先生の勧めで

同じく広大特音の声楽の教授を

紹介してもらったのだ。

 

こちらとしては

コールユーブンゲンと新曲視唱だけを

教わるつもりだったのだが、

どのように話が伝わったのか

声楽の教授のところでは何故か

ソルフェージュではなく

「歌のレッスン」が始まってしまった。

 

…もしかしたら作曲の先生には

なにか考えがあったのかも知れない。

 

そんな訳で

受験必須課題の

コールユーブンゲンなどは

軽く流して終わりにし

(所詮は音大の学部受験なので

 出題範囲などは限られている)、

新曲視唱も兼ねた発声練習の後は

イタリア古典歌曲とドイツリートを

もっぱら歌わされることになった。

 

勿論この時点では

イタリア語もドイツ語も知らないし

どのように歌えば良いのかすら

全く判らない。

 

そこで、

せめてもの手掛かりになればと

久松通りという商店街にあった

福山市の数少ないレコード店に行って

イタリア古典歌曲のレコードと

「美しき水車小屋の娘」のレコードを買い、

音源をレコードからカセットに移して

とにかく何度も聴いた。

 

使っていた楽譜には

歌詞のルビなど振られていなかったので、

レコードからの耳コピのみで

「この単語はこう発音するのか」と

自己流で聴き起こしたりもした。

 

この時の手本として手に入れたのが

レナータ・テバルディの

「イタリア古典歌曲集」と

フィッシャー=ディースカウの

「美しき水車小屋の娘」。

 

テバルディがどんな歌手なのか、

ディースカウがドイツリートの世界で

どのような立ち位置にいるのか、

当時の私はそうした知識を全く持っておらず、

二人のレコードを手にしたのも全くの偶然だった。

 

ただ

「今習ってる曲が入ってたから」

 

たったそれだけの理由で、

たまたま他の歌手のレコードが

その店にはなかったという

店側の状況もあって、

私はこの2枚のレコードを

「歌の手本」として手にしたのだ。

 

その意味では当時の私は

「強運の持ち主」としても

破格だったのかも知れない。

 

後になって考えれば考えるほど、

イタリア古典の手本として

最初に聞いたのが

テバルディであったことが

運命的であると思えるし、

ドイツリートの手本として

ディースカウを選んだことは

「バリトンとしての私」に

大きな影響を与えている。

 

まさしくそれは

「僥倖」であった。

 

 

・・・ちなみに、

ディースカウの歌唱の中での

歌詞の発音をそのままなぞったら

先生にこっぴどく怒られたなあ・・

 

先生は古風な歌唱を好んでおり、

巻き舌を現代口語の様に”ほどく”ことを

善しとしなかったからね。

 

ま、それ以前に

ドイツ語の発音を発音記号ではなく

耳コピだけでなんとか

マネしようとしていたのも

乱暴すぎる話ではあるが。(ワハハ)