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黒卵の鬱ブログ

ガーデニングが趣味の文章書きな人間の鬱ブログ。
あまりおすすめはできない自作の詩や畑の記録
なんかを書きます。うつ病の人間のたしなみです。
しかし、言いたいことは遠慮しません。
たまに気分を害するような出来事も書きますので、ご了承のほど。

ネットで初めてまともな人付き合いをした自分にとって、当然の如くそこが大事にしたい場所になった。いじめや差別や権力下での弱い立場をこらえながら生活するのはおもしろくない。
もうあんなのはうんざりだ、二度と経験してたまるものかと思うあまり、下手な事を言って注目を浴びたり、主張する事を控えて息を殺しながら、うつ病を抱えて通った高校時代は、周りに恵まれたのとそうした努力があってかそこそこ楽しめる場所だった。
いい思い出のある青春は財産だ。
今にいたっても懐かしく風景が目に浮かぶ。
あれは周囲の人が築いてくれた幸せだと思う。

今自分で、ネットという閉鎖的な繋がりで人間関係を紡ごうとしている。今自分の目の前にあるのは、俗悪だろうが閉鎖的だろうが、ネット以外にない。繋がりを求めるなら、うつ病の自分は外に出るよりもそうした方がいい。だから、全力で大事にしている。簡単に関係を切られる事もある。
所詮顔の見えない得体の知れない相手、
と一蹴される。
うつ病など中2病と同じ造語だなどと、ネットに飛び交う言葉を鵜呑みにして、自分の頭で考えない人もいる。閉鎖的な中でそんな事が常識になる。
閉鎖的なのは間違いない、その通りだが、それでは道具に使われているだけなのではないのだろうか、と疑問に思ったりもする。
大声で話す人と同じだ。
他の人の意見を聞かず、自分が取り入れた情報を自分の閉鎖的な概念で解釈し、発信するだけ。
人の話を聞かない、うるさい人を見ると、ネットの嫌な一面とかぶる。
使っていると思い込んでいるだけで、ネットに、情報に使われている。情報に意思はない。
悪意が込められているか、やさしい気持ちが込められているか、使われている人間には、文字の真意を読み取ろうという気持ちはないのだろう。
勿論、本当の事は解らない。それでも読み取ろうという姿勢の有無が大きい。
遠慮していたら喰われる。ネットを使って自分を高めようという姿勢のない人は情報に喰われる。
物を大事に使わないで、批判して勝ったと思い込んでいる方が馬鹿なのだと、自分は思う。

幸せな出会いや様々な楽しみ方をしたいなら、喜怒哀楽のある、欠点や醜さのある人間と接しているという想像が不可欠で、想像が人と話す緊張感の代償だとすれば、自分にとってネットという場所は完璧な第二の世界で、リハビリの場所に他ならない。

沢山の事を教えて貰った。今少しずつ人と話す事が出来るのも、これのお蔭でやはり人が築いてくれた幸せだと思う。