時代は、物を創って、いつの間にか人間さえももの扱いしてきた
物物質文明から、イメージを創って、考えから自由になった人間の尊厳性がある精神文明へ!
のシローです!
さて、今日は、連休中に観た「100,000万年後の安全」という映画について。
この映画は、フィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場“オンカロ(隠された場所)”と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品で、安全になるまで10万年を要するという高レベル放射性廃棄物を、果たして10万年間も安全に人類が管理できるのかという問題を、フィンランドの最終処分場の当事者たちに問うています。
予告編<動画>
79分という短い、ドキュメンタリー映画。
フィンランドでは、高レベル放射能廃棄物を16億年の地層で形成された500メートルまで地下の岩盤を掘削し、そこに入れて管理することができるのか?という議論を関係者たちがインタビューに答える形式になっている。
個人的には、ちょっと期待外れの△ですね。
なぜなら、余計な心配をしているからです。
高レベル放射性廃棄物の無害化に10万年必要。
そこから、意見が二つに分かれる。
ひとつは、①未来の人たちにどうやってこの危険を知らせるのか
ふたつ目は、②ここに何かありますと知らせないほうが、未来の人達にとって安全
高レベル放射性廃棄物の無害化ができない今、人類の英知でも解決できないならば、
フィンランドは最善の策をとっていると思う。
問題の本質が、ずれていると感じるのは私だけだろうか。
10万年後の人類がいたとして、今と比べてどうなっているか予測できない。
予測したところで、言葉も通じないし、放射能を無害化できる技術があるかもしれない。
だから、どちらが良いとは言い切れないので、それ以上議論する余地がない。
それ以上考える必要がない。と思う。
未来は「今」の蓄積だから、今具体的に何をどうするべきか?
を問わなくてはならない。その問いかけが、この映画の意味と価値である。
つまり、「どんな人間になって、どう生きればいいのか?」
皆さんは、人生の指針、中軸となる判断基準を世の中の価値に合わせて生きていませんか?
それで、幸せ、成功人生を送ることができますか?
そんな問いかけを、監督マイケル・マドセンはしたかったのかもしれない。

