◎推古天皇22年(614年7月24日) 最後の遣隋使として犬上御田鍬らが隋へ出発。
(遣隋使=けんずいし)
推古朝の時代、倭国が技術や制度を学ぶために隋に派遣した朝貢使のことをいう。
18年間に3回から5回派遣されている。
なお、日本という名称が使用されたのは遣唐使からである。
日本とは、〝唐〟や〝隋〟の国から見て、太陽の登る=顔を出す方角を、
言ってるのですね。
倭の五王による南朝への奉献以来約1世紀を経て再開された遣隋使の目的は、
東アジアの中心国・先進国である隋の文化の摂取が主であるが、
朝鮮半島での新羅との関係を有利にするという、影響力維持の意図もあったが、
倭の五王時代と違い、冊封を受けなかった。この外交方針は
次の遣唐使の派遣にも引き継がれたのですね。