●弘安4年6月23日 弘安の役。元軍が九州に再襲来
(弘安の役=こうあんのえき)
弘安4年(1281)、蒙古軍が文永の役に続き再度博多に来襲した戦役。
14万の大軍で迫ったが、日本軍の応戦と暴風のために壊滅。
文永の役
(文永の役=ぶんえいのえき)
文永11年(1274)中国元=げんの大軍が来攻したときの戦い。元軍は対馬=つしま・
壱岐=いき、次いで博多付近に上陸したが、暴風雨によって引き上げた。
元寇=げんこう。
弘安=こうあんの役=えき
◎この時の、元=げんの首長は、フビライで、
なにを目的に攻めて来たのか?。と言えば、
「銅」とか、「硫黄=いおう」が欲しかったのだとさ。
それでねぇ、暴風は?で、日本軍の攻撃もあったかも、わかりません?が、
本当の所は、船内で「腸チブス」の患者が発生して、広がったためだとも
言われてるのですよね。