30日
(こしゃまいんの乱part8)
花沢館の講和条約
これは、講和などではなく。
武田信弘からの一方的な命令と解釈するべきなのでしょう?が、
表題として書くには講和条約がよろしいかと思ったのですよ。

戦いも終わった事だし、近隣に住むアイヌ人のおもだった人たちを、花沢館に招いて
親睦会として。
宴会をしたのですね。その時に。
アイヌ人に出されたお膳の御馳走は、
黒豆の煮た物。
これは、武士の心を表す物として、とてもめでたい物なのだ。
とは言うけれど、硬くて歯がたちません。

たけのこ料理。
これだって硬くて全然食べられません。で、
アイヌ人たちは、おそるおそる、武田修宏の方をベゴにらみで見ると、平気な顔をして、どの御馳走も食べてるから。
信仰深いアイヌ人たちだから。
〔あのひとは、人出はなく神様なのだ〕と、思い込んでしまって。だから、
このたびの戦いにも我々は負けたのだ。と、
だから、これからは、あの人の言うことを聞いて暮せば幸せが来るのだ。と、
信じてしまったのですね。

そこで、武田信弘から出された言葉は
[お前たちは、関内より、北に住んでよい
我々は、そこより南に住むから]と、
これは、にしんのよく取れる地方に倭人が住み、アイヌ人たちには、にしんが
沢山捕れない地方に住みなさい。と、命令してるようなものなのですね。
◎言葉の解説。
関内=せきない
これは、熊石村関内のことで。
ここまでしか倭人が住み着いて無かったのですね。関内部落を通過すると、
アイヌ語の地名となってました。今もありますよ。
関内とは、関所の内がわの意味なのでしょう。
関所は、幕府が設定できるもので、藩は関所を設定できないので。
松前藩は、「番所=ばんしょ」を作ったのですね。名前が違うけど、仕事の内容は、
関所と同じだから。関内としたのでしょう。
さて皆さん!、にしんとは、生きてるさかなの名前だと思いますか?。
スマホででも、調べてごらんなさいよ。
身欠き鰊って言葉もありますよ。
にしんの語源も調べてね。