【厚沢部にも居た義経】
(義経の隠し金山)もしかして?軍資金なのでは?

一之谷の戦いが終わって、京都で、帝から「都を守って欲しい」と判官のくらいを
授かった!。

頼朝は、
[余の承諾なくして、授かるとはなに事ぞ]と、
怒り頭まで登って、16騎の兵を
[義経を討てっ]と、

いち早く義経はその情報をキャッチ!
16騎は、逆に打たれて失敗。
この時から、義経は、兄頼朝と戦ってるのですね。

一之谷で秀衡=ひでひらが申した、
[本当の敵は、身近にいるものですよ]の
言葉の通りだったのですね。

そこで、義経は京都を出て、九州へ、一族皆と船で落ち延びようとしたのですね。

大嵐に会ってしまって、大阪に漂着してしまい。ここで、一族に金を渡して
解放したのですね。

静御前だけは、男仕度で、平泉へと旅立ったのです。が、
上野の山で、お腹の子が七か月でもあり、太った男には見せて変装はしてるものの、
弁慶が
[おなごを連れての、この山越えは無理であろう
それに、いつまでもめめしいではござらぬか]で、
義経も覚悟を決めて、静を、京都の母の元へといかせたのですね。その時に
[いずれは世の中も変わるであろう]と、
この言葉も、頼朝と戦うを匂わせてるではありませんか?
(隠し金山)
その金山から、カマスに入れて、だんこ馬=どさんこで運んでるのです。が、
厚沢部の人たちは、その金山がどこにあるのか?、どこへ運んでるのか?、
わからなかったのですよね。

それでナオ更に義経の隠し金山となったのですね。

昭和50年の終わる頃に、やっとみつけたのですよ。
(金助=きんすけ河原)
この金助さんが、義経を乙部=おとべ岳へ、案内した人だと言われてるのですよ。

乙部岳は、高い山と低い山とが、抱き合うように見えてます。

その低い方の山を(九郎岳)と呼びます。
(義経の宮)
乙部営林署の署員が発見したのですよ。
銭の真ん中に穴の開いたお賽銭もお供えしてあったそうですよ。

乙部町のHPに、静御前最期の地と、かかさってますよ。だから、「姫川」だと