【8月24日】
●永正8年(1511年9月16日) 永正の船岡山の戦い。
細川政賢の京都進攻を恐れて丹波に逃れた前将軍・足利義稙が、
大内義興らの援助により山城国船岡山に陣取った政賢を破って入京。
(船岡山=ふなおかやま)
京都市北区にある小丘陵。
標高112メートルで、船を伏せた形をしている。
平安時代は貴族の行楽地、のち火葬場・刑場。
また戦略上の要地とされ、応仁の乱の西軍の拠点となった。
織田信長をまつる建勲=けんくん神社がある。
船岡。
(船岡山合戦=ふなおかやまがっせん)
室町幕府将軍足利義稙を擁立する細川高国・大内義興と
前将軍足利義澄を擁立する細川澄元との間で起きた、
幕府の政権と細川氏の家督をめぐる戦いである。
応仁の乱の際に船岡山を巡って発生した戦いと区別するため
「永正の船岡山の戦い」ともいう。
(足利義稙=あしかがよしたね)
[1466~1523]
室町幕府第10代将軍。
義視=よしみの子。
延徳2年(1490)将軍となり、明応2年(1493)細川政元に追われたが、
永正5年(1508)再び将軍となった。
大永元年(1521)管領細川高国の乱により淡路に逃れた。
島公方=しまくぼう。
流れ公方。
[補説]
初名は義材=よしき。
明応7年(1498)に義尹=よしただ、
永正10年(1513)に義稙と改名している。
(大内義興=おおうちよしおき)
[1477~1529]
室町後期の武将。
安芸=あきなど6国の守護として勢力を振るった。
永正5年(1508)
前将軍足利義稙=あしかがよしたねを将軍に復職させ、自らは管領代となった。
●天文元年(1532年9月23日) 山科本願寺焼き打ち。
京都町衆の法華一揆で宗徒と六角氏が襲撃。
(山科本願寺=やましなほんがんじ)
京都市山科区にあった浄土真宗の本山。
山号は松林山。
文明10年(1478)蓮如の創建。
天文元年(1532)六角定頼および日蓮宗徒による焼き打ちにあい、大坂石山へ移転。
以後長く廃墟となっていたが、
跡地に山科別院が建てられた。
(堂上六角)
宇多源氏流の武家で守護大名から戦国大名に成長した六角氏。
(法華一揆=ほっけいっき)
戦国時代、京都の町衆を中心とする法華宗(日蓮宗)徒によって起こされた一揆。
幕府・大名や一向宗徒と衝突、山科本願寺を焼き払うなどして勢力を張ったが、
天文5年(1536)の天文法華の乱で衰えた。
(天文法華の乱=てんぶんほっけのらん)
天文5年(1536)
比叡山延暦寺の衆徒が宗教問答を契機に京都の法華一揆と対立し、
洛中洛外の日蓮宗21寺を襲った事件。
天文法乱。