【8月5日】
●舒明天皇2年(630年9月16日) 犬上御田鍬・薬師恵日を第1回遣唐使として唐に派遣。
(遣唐使=けんとうし)
古代、日本から唐に派遣された使節。
舒明天皇2年(630)、犬上御田鍬=いぬかみのみたすきの派遣を最初とし、
十数回派遣された。

中国の制度・文物の輸入が主な目的で、数百名が数隻の船で渡航。
政治・学問・宗教などに多くの貢献をしたが、寛平6年(894)に菅原道真の建議で中止。入唐使?(にっとうし)?。
(犬上御田鍬)
飛鳥時代の官人。
推古天皇22年(614)遣隋使として中国に渡り、翌年帰国。

舒明天皇2年(630)には第1回遣唐使として渡り、同4年に帰国。
生没年未詳。
(建議=けんぎ)
意見を申し立てること。
また、その意見。
「建議書」

●大化元年(645年8月31日) 鐘匱の制。朝廷が、国民の直訴を受附ける投書箱を設置。
(鐘匱の制=かねひつのせい)
大化の改新の際に設けられた訴訟制度。
朝廷に鐘と匱をおき、訴えのある者はその首長を介して訴状を匱に投書させ、
それでも訴えが取り上げられなかったときは、訴人に鐘を打たせるようにした。

●慶長3年(1598年9月5日) 豊臣秀吉の要請で徳川家康・前田利家ら五大老が
豊臣氏と五奉行に忠誠を誓う。

●元和8年(1622年9月10日) 元和大殉教。長崎でキリシタン55人を処刑。
(元和大殉教=げんなだいじゅんきょう)
元和8年(1622)長崎立山におけるキリシタン迫害事件。

宣教師や信者ら55名が斬首・火刑に処された。

●安政3年(1856年9月3日) 米総領事タウンゼント・ハリスが、伊豆下田・玉泉寺を
総領事館とすることを決定。
西洋の人たちは、和式の建物が嫌いだったのですね。
いわば、とじこもる形の部屋で暮したいのですね。で、
横浜に急速に洋式の建物が建てられていったのですね。

●元治元年(1864年9月5日) 四国連合艦隊下関砲撃事件。
理由があった。とすれば、外国船だからですね。で、
おかえしとして、めちゃくちゃに砲撃されてしまったのですね。
砲弾の性能が、ぜんぜん違うのです。
それさえ知らなかったのですね。