【7月29日】
●嘉祥元年(848年8月31日) 平安京で大規模な落雷があり、
木工寮・東市司の庁舎や弘文院、賀陽親王・源定・藤原春津らの邸宅が被災する
(『続日本後紀』)
落ちた雷は、〔菅原道真〕が、雷となって、落ちた。と
●文治2年(閏7月)(1186年9月14日) 源義経の愛妾・静御前が男子を出産するが、
頼朝の命により溺殺。
頼朝の第一子も、平家の武将伊藤の命令で、海に捨てられた。となってます。
その子の母は、伊藤氏の娘。伊藤は、頼朝の監督役。
?はたして、海に捨てられたのでしょうか?
〔頼朝の子〕も、〔静御前の子〕も?。
静は、我が子のあとを追って、その海へ入り、自決。
ゆいが浜で。
●永享12年 結城合戦で上杉清方が結城城(茨城県結城市)を囲む
結城合戦(ゆうきかっせん)は、永享12年(1440年)に関東地方で起こった室町幕府と
結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いである。
結城合戦は、合戦の規模は永享の乱よりも大きい。
関東管領・上杉憲実は、
春日城の「景虎」を、天下を取る手だ!。が、最期の言葉でした。
●慶応3年(1867年8月28日) 土佐藩の中岡慎太郎が京都で倒幕浪士軍陸援隊を組織。
倒幕思想が、高まり、弾圧も強くなり、新撰組などの人殺し組織も、敵味方の両方に出来て、庶民は、枕を高くして寝られない京都だったのですね。
[馬上にて失礼]で、
上下の人間が串刺しにされたのは〔芹沢氏〕でしたね。
●明治4年(1871年9月13日) 天津でに調印。
(日清修好条規=にっしんしゅうこうじょうき)
日本と清=しん国とが自主的に締結した最初の条約。
領事裁判権と協定関税率を相互に承認し、最恵国条款を欠くなど
変則的な対等条約であった。