【1月20日の昔】
元暦元年(1184年3月4日) 源義仲が、頼朝の命をうけた範頼・義経の軍と戦い
近江・粟津原で敗死。

源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の
一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。
木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。
『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。

以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、
倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、
皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで
法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、

源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

巴午前は、側室なのですね。

宝永6年(グレゴリオ暦1709年3月1日) 将軍徳川綱吉の死後10日目で
生類憐れみの令が廃止。

あわてたのは、人間の医者、つまり本業が獣医で無い医者たちで、
御殿のような屋敷に住んでたが、こうなると、
今までお犬様のお医者様で、そっくり返って暮らしてたが、

もみ手をしながらハイハイと、人間の医者に早変わりしなければならなかったのですね。

いばった分損益になりませんかね?。