【1月4日の昔】
天正20年(1592年2月16日) 松平忠輝、
徳川家康の六男誕生。
今までは、誕生の話を掲載して来ませんでした。が、この話題は、昔あった、
捨て子のならわしにかかわる話なので、掲載します。
忠輝の母が、身分が卑しい者だったので、家康は、寺の門前に捨て子して、
たまたま、通りかかった家臣が拾う。のならわしを用いて、35万石の家で育ててもらったのです。が、
この子を嫌って、お目通りを許さなかったのですね。
家康の生涯の中で、ただ4回会っただけで、
臨終まじかでも他の子たちとは面会を許したが、忠輝だけは許可しなかったのですね。
なににこだわったのかは、わかりませんが、母がなんであれ、花粉は、
家康が命じて作らせたものでしょうにね。
忠輝は、川中島の領土を含めて75万石の大大大名になってるのですよ!。