【初恋の相手は天皇の側室だった】
保延=ほうえん6年(1140年11月26日)
鳥羽上皇=とばじょうこうの北面武士=ほくめんのぶし・佐藤義清=さとうよしきよが
出家し、西行=さいぎょうと名乗る。
佐藤義清とは、俵堂田の子孫で、サムライの時から和歌などの能力に優れてたそうです
俵堂田とは、竜宮城を毎夜襲う〝おおむかで〟を退治したとの伝説の豪傑ですよ。
佐藤義清が出家したのは、ある事件以来、浄土は西にある。だから〝西に行く〟で、
西行と、西行となってからの口癖は、
[わしは、満月の光を浴びて死にたい!]と、
そして2月16日を命日としたのです。
15日を満月とすれば、16日は、!満月と見るもよし!では、ございませんか?!
松尾芭蕉の〝奥の細道〟は、
この西行が、和歌を作りながらの杖の跡をたどったのだ。と言われてるのですよ。