【神様のいたずらか?】
豊臣秀吉が、
[徳川ヨ!、ワシが居なくなった後、だれが天下を取っても、
世の中は乱れるだろう?、だから、だれかれとは言わずに、
力のある者が天下を治めるしか無いのだから
!、お前にこうして頼むのだ。争いの無い天下にして欲しいのだ!]
拝むようにお願いをしてたのでした。ところが、秀吉62歳!、

秀頼となる人が、ご懐妊!、秀吉の立場が大変してしまったのですネ。今度は秀吉が、片手拝みをするようにして、
[徳川ヨ!、ワシの立場をわかってクレ!]と、
徳川も
[秀頼様が、15歳になったれば、天下は豊臣に返す!]と、

それで秀吉は枕を高くして「なにわの夢は、、、」と辞世の句を残して安楽の地へ旅立ったのです。それで戦いの無い世代に終わりを告げた形となったのです。

狸おやじと、呼ばれた「家康」ですもの。秀吉との約束などは「なんのその」で、戦う世になったので、帝が口を出して「仲直りをするように」と、ところが、家康が豊臣家に申し入れたのが、「大阪城の堀を埋めて欲しい」なのです。

秀吉が常日頃からの自慢話は「この城の命は堀ジャア!、
この堀があるから、名城といわれる、強く落城しない城なのじゃ」と、ヨド君もそれを知ってるので、「それはまかりならぬ」と、すると、
豊臣家で戦う意志が無いのならば、大阪城の外堀を埋めて欲しい。

大阪方では、堀があってこそ〔大阪城である〕とツッパネタのですネ。すると、それさえも断るのであれば、徳川を攻め滅ぼす
意思があることと判断すると、大阪方では、帝の仲裁でもあるので、
仕方が無く承諾したら、人夫がドサット来て、
堀を全部を埋めてしまう支度にかかったので「一寸待った」と、
ところが現場の責任者は「命令に従わないと切腹ものだから」と、

すぐに徳川方に使者を、ところが中々家康と会わせてくれなくて、
大阪方がモタモタしてるうちに堀は全部埋められてしまったのでした。

そして「夏の陣」、「冬の陣」などの大きな戦いと
なってしまったのですネ。