(酒を飲んで得をした話part2)
藤堂家 35万石
内藤家 8万石
藤堂家から本間家へ、嫁入り!、
藤堂家の殿様は、大酒のみ、内藤家の殿様は下戸だった。で、家臣たちも、あまり酒を
好まなかった!、
藤堂大学守は、内藤家へ嫁入りした、孫娘がめんこくて、度々むったり、内藤家を訪問。
内藤家では、禄高も違うし、酒の事ででもあんまり歓迎をしてなかったらしい?、
ある夜、大学の守が、「内藤殿!、予は十分ちょうだいした!、水を所望する」と、
内藤家では「酒飲みが、水と言うのは、?冷酒の事だろう?」と、冷酒を出した。
さああ そこから騒動が始まるのです。
もともと、大学守は、酒の上の悪い人だった。=酒乱。
[内藤殿!予は水を所望したるに冷酒とは
貧乏藤堂だから、帰藩しても飲む酒が無いだろうの所業であろう?ならば、酒飲みの
相手を所望ジャア]と、
さああ 怒らせて、なん人かが切られても困る。で、
足軽部屋まで、出かけて、酒飲みを探した結果!見つかりました!、三郎兵衛が、
身分を隠して、相手をさせました。飲んでるうちに、なんづぎ=ひたいにある傷跡が、
赤く盛り上がってきました。それをじっと見てた大学守が「三郎兵衛さかなをいたせ」と、この三郎兵衛は、武田信玄の家臣馬場氏の三男坊だったのです。そして、
その傷をつけたのが、大学守が、16歳の初陣の時だったのです。
大阪城落城の時の最後の戦いででした。大学守は「戦場での敵は、平和な時の友ジャア!これをつかわす」と小刀をくださって!機嫌が直って上々のご帰宅となりました!
大学守が、そく禄は?と、まさか「足軽」とは答えられず、「400石で、馬まわり役」と、「それはちと安すぎるではないか?、これだけの武勇のつわものを、もう100石
上げた方がよかろう」で、一気に足軽から500石の士分に取り立てられて、
内藤家で、馬場の家名が残ったわけです!