どーも。
絵描き士のだいごろうです。
久々に、ぢんさんのブログ記事をリブログ(笑)
本日、ある人と話していて
「本当に、この世はいい人ばかりだと思ってるの?」と
聞かれたので、俺は、「本当にそう思ってますよ」と
お答えしたのだけど、その人は
「えー!自分はそう思えないけどなー!」と言っていた。
すこし時間をかけて、その人のお話を聞いたり、
俺の意見を言ってみたりして、話し合ってみたけど・・・
最終的には、
「自分で、そう決めているし、決めていいし」
という話で納得してくれたみたいだった(笑)
「この世はいい人ばかり」と思えないのは、その反対の
「この世はいい人ばかりじゃない」と思っているということ。
そっち側を『信じている』ということ。
もちろん、そっち側を信じて『も』いい。
それで、自分自身が心地よく、生きていけるなら、それでいい。
そっち側を信じて、幸せを感じるなら、それでいいと思う。
「心地よいかどうか」「幸せかどうか」は、
感じている本人しか分からない、味わえない『感覚』なのだから。
他人から見たら
「アレで幸せなの?」「アレは不幸でしかないでしょ!」と
思われることであっても。
本人が「幸せ~」と感じているのなら、それが真実。
その人だけの真実。その人だけの感覚。
他人が口出しすることではない。
でも・・・もし・・・
そっち側を信じているばかりに
「心地よい」と感じられなければ・・・
「幸せ~」と感じられなければ・・・
今回のぢんさんのブログに書いてある通り
「いままでの逆を信じてみませんか?」
と、ご提案したい。
↑は、俺が去年に描いた作品。
俺が言う「この世はいい人ばかり」とは、
「この世に悪い人はいない」ということ。
ただ・・・ただし・・・
「この世には、自分の都合に悪い人たちがいるだけ」なのだ(汗)
そして、俺は
「この世の全ての人がいい人です」とは言ったが、
「この世の全ての人が大好きです」とは言っていない(笑)←ここ重要
「いい人」と「好きな人」は別物で(^▽^;)
逆に言えば
「(自分の都合に)悪い人=嫌いな人」でもないわけです。
『食べ物』に例えたら、分かりやすいと思います。
俺が大嫌いな『納豆』・・・( ̄ー ̄;
でも、『納豆』が、なにか俺に対して
悪事を働いたわけではありません(笑)
彼(彼女?)は、俺になにもしていません。
ただ、日本の食卓に『存在しているだけ』です。
ただ、俺にとっては、ニオイも味も吐き気がするのです(汗)
はい、俺の勝手な都合です( ̄ー ̄;
(※食べたことがないわけではありません。
小学校、中学校の給食で、当時は残してはいけないという
暗黙のルールだったので、遅くまで残って無理やり食べました(汗))
でも『納豆』は、すっごく栄養価が高く、優れた食材なわけです。
そこは俺も認めてます。
なので、『納豆』が大好きな嫁ちゃんも長女も次女も、
俺の目の前で食べております(汗)
ニオイが苦手な俺としては「おえっ!」と言いたくなるのを
我慢して、家族たちが食べ終わるのを見守っております(笑)
大好きな家族の、好きな物を、俺の都合で
「嫌いになれ!」「食べるな!」とは言いません。
しかし、どんなに大好きな家族に勧められても、
どんなに優れた栄養食材だったとしても、
俺は・・・嫌いなモノは、嫌いなのです( ̄ー ̄;
そして、俺が大好きな『甘い食べ物』・・・
ガム、アメ、アイスなど、
ほとんどのお菓子に含まれている『合成甘味料』には
発がん性やら内臓異常やらウツ症状やら(笑)
すべてが可能性の話なので、あんまりオオゴトなニュースには
なってませんが、昔から安全性について議論が絶えないそうです。
つまりは、俺(の体)にとって『悪』に成り得る『甘い食べ物』たち・・・
それでも、俺は・・・甘い物に目がないわけです(笑)
食べてしまうわけです(^▽^;)
それがまた、たまらなく美味しいのです!
大好きなのです!(笑)
どんなに医療関係者のお偉いさんたちに注意されようと、
どんなにおなかを壊して、体調不良になろうとも、
俺は、好きなモノは、好きなのです(^▽^;)
これを、『人』に変えて、考えてみてください。てことで。
あぁ、そうそう・・・
「この世に悪い人はいない」というか、
「この世には、いい人も悪い人もいない」っていうのが
最近の、俺の中の真実になってきてます(^▽^;)
「この世には、いい人も悪い人もいない。
ただ、自分の都合にいい人と悪い人がいるだけ」ですね(笑)
こう思えるようになったのも、
結局、その昔、「自分は最低な人間だ」と感じる体験を
俺はしているからであって・・・
その経験から、『自己過小評価する思考』になり・・・
「こんな最低な俺が生きていられるんだから
この世界は優しい」というのが、俺の中の真実になり・・・
「俺以外のみんな素晴らしくスゴイ人たちばかりだな~」と、
『他人を過大評価する思考』へと繋がっているからです(^▽^;)
そして、現在は『自己過小評価』を
なるべく止める傾向になってきており・・・
『他人を認め、自分も認めれる思考』になってきて・・・
「人間に上下は無い。みんな対等、同等である」というのが
俺の中の真実になってきたからです。
こう思えるようになったのは、本当に、
俺以外の、たくさんの人たちに出会い、教えてもらい、学んだからです。
俺一人では、絶対に今いる場所には辿り着けなかったし、
こんなに穏やかで居心地がいい精神状態には至れませんでした。
ぢんさんのブログも、そのひとつ。
「・・・それでも、あなたは愛されている」
「それでも」の前には、
人それぞれの言葉が当てはまります。
「弱点」だったり、「汚点」だったり、
「苦しい事・悲しい事」だったり、
「恥ずかしい事」だったり、「サイテーなこと」だったり、
「愛されていない証拠」だったりしますね。
「愛されている証拠」がないと、
そう思えない人たちが多いと思います。
俺も、そうでした。
でも、勘違いでもいいから、「そう思う」ことから始めてみたら
案外、早い段階で「愛されてる証拠」ばかり出てきました(^▽^;)
もちろん、これは、俺の場合です。
みんなに共通するわけではないです。
人が違えば、「愛されている証拠」も違うわけです。
それらが出てくるタイミングも違うわけです。
諦めずに探して、探して・・・
諦めたころに、ふと見つかったりして(笑)
本当に、人生はおもしろいものです(^-^)
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「まじめに生きてても、誰かの人生では悪役だったりね」と「ことりーず」。
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