寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり -74ページ目

寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり

想いは誰にも見えないから、このようにブログにしてみたのです。
ダメな僕を朝日とやらが映し出す時まで

思い出して後悔してしまうことが、人それぞれあるだろう。
昔やらかした事の代償が今もなお尾を引いている場合、あの時の無様な行動や言動やあれやこれやをふとした瞬間に思い出してしまう。
困った事に、そのタイミングはよく分かっていなくて。
寝る時、仕事中、勉強中、トイレの中、彼女との電話中、自慰行為中etc…
どれを取っても何をしていても、その恥ずかしい発言やらがある時ふっと頭の中に湧いてきてしまう。なぜ。

実はこういった現象は、科学的には解明されているとよく聞く。すべて人間の脳の構造のせいだとか。あとは心理的なストレスのせいなのかな?
詳しくはよく分かっていないけど、所謂人のマインドのせいなんだって。
あとはその人の性格が左右するとか。
だから肝っ玉の座った人の方がそういう事には苦しまず、反対に臆病な人は今も過去の自分にも自信が持てず「ああ、あの時もこんなことやったっけ…」って昔のよくない記憶を脳内反芻してしまうらしい。

どうしようもない、のかね。
これらの解決策を尋ねると
「全ては気持ちの持ちよう!気にするな!」
って回答が9割近く帰ってくる。
回答者はきっと昔から自分に自信のある人と、自分で自信をもつように意識して生まれ変われた人なんだと思う。
しかし、そもそも僕は根性論が大嫌いだ。
気の持ち用だとか。
気持ち一つで見方が変わる、未来が変わるとか。
本当に、なんなの??
そんな根拠のない解法を提示されて、俺らの脳が心がすぐに受け入れられる訳なかろう。
だからこうして嫌な記憶を何度も何度でも思い出してしまうんじゃないか。

僕の信頼するエッセイストのFさんが
「人は自分の救われた方法でしか、人を救えない。」
という名言を自身の本で残されている。
半分は正しく、半分は間違っていると思う。
仮に苦悩を克服した人からその成功談やありがたいお話しを聞いたとして教えてもらったとして、自分が本当に救われるかは五分五分なのである。
「救われる」か「救われない」かの二択。

これまで僕は、この問題について様々な人や本、情報機関に対して意見を求めてきた。
その結果が、このブログである。
僕の中では、昔の後悔する出来事を思い出して引きずることについて未だに解決できていないのである。
彼女とのケンカ、相手を傷つけたこと、自分の勇気が足りなかったこと、あの時泣いてしまったことなど。
お金がなくて出来なかったこと、チャンスを他人に奪われてしまったこと、時間を溶かしてしまったこと、色々ある。
僕の中ではそのどれもが何一つ解決できておらず、目の前にはいくつもの代償を伴う出来事が転がっている状態。
そんな毎日を過ごしていたら、視界に入るものに影響を受けて、頭の片隅にしまっていたものが溢れ出てくきてしまう。
要領が悪いとは、容量が悪いのと同じ。
頭に残したいものが残らないのは、頭に不要な記憶がこびりついてしまっているから。
何度でも思い出されては、記憶を埋め尽くす悪性腫瘍のような記憶。
僕はいつもそれに不定期に苦しめられている。

僕の過去の後悔と未来への不安は、ひと繋がりになっている。本来ならバラバラの別個のものなのだが、これは俗に言う負の連鎖なのだろうか。
いずれにしても、苦しめられている。
「あの時、ああすれば良かった」
「もしも、ああならなかったら」
「僕は今、何をしているのだろうか?」



分からない。

何にも、分からない。



解決策も、
緩和方法も
代償の範囲も、
償いの方法も、
想いの行方も、
あいつの心情も、
結婚の予定も、
為替の動きも、
このブログの落とし所についても、
何一つ、分からない。

僕がこのブログを起こしてしまった事が、
過去の過ちや不手際に対する後悔の結果。
僕はもう、後悔という名の船旅に出てしまっているんだ。もう二度と戻ることのできない旅路についているのだ。

父さん、母さん、姉さん、友だち、彼女、彼女ご家族。
みんな、元気かい?
俺は変わったよ。
優しさに暮れ、温もりに飢えています。

僕の思いの丈をこのブログに書き連ねたから。
今からインターネットワークシステムの中に気持ちの紙飛行機を飛ばすからね。
太陽に近づき過ぎて翼が燃え落ちないといいな。
なんてね。