寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり -15ページ目

寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり

想いは誰にも見えないから、このようにブログにしてみたのです。
ダメな僕を朝日とやらが映し出す時まで

あなたには優しくできる自信はある。

愛する人を一生支えながら暮らしていく自信もある。

ただ愛情を押し付けるだけでもなく、個人として尊重する事も大切だと理解している。

時々感情をぶつけたいと思う時もあるけど。

それでも、最後は話し合いで解決すべきだと思っている。


結婚とは、

一人で生きていける者同士が、

それでも一緒にいたいと思った時に

取り交わすものだと学んだ。

一時、僕一人では生きていけないと思っていた事もあった。

でも今はもう、きっと大丈夫だ。

僕もあなたも、一人で十二分に生きていける。

精神的には大人として十分に独立している。

だから一緒に暮らしたい。

あなたと一緒に暮らすことで、

二人はさらに輝けると信じているから。


だから、あなた。

一緒に暮らすことについての消極的意見は言わないでほしい。

一緒に暮らす前から、わざわざ士気が下がる事する必要はないだろう。




………

ダメだ。

本音を言うと、

僕はもう奥さん無しでは生きていられないし、

僕のことを必要としない奥さんなんて、いらないって思ってしまう。

いらないよ。そんな人。

ああ、もうダメだ。

離婚がちらつく。

離婚って、何だろう。



奥さんと暮らすために、僕は転職をする。

しかし、もし一緒に暮らすことができないとなると、

一体、何のための転職なのか。何のための退職なのか。

「病める時も寄り添うことを誓う。」

って、そんな事は無理。

結婚式場で神父の前で取り交わすあのやりとりはきっと、その場しのぎの口約束。

あの場での指輪交換による契りなんて、本当に何の意味もない。ただのポージングだ。


現に奥さんは、普段は結婚指輪をはめていない。

それ以外にも、僕のあげたプレゼントを引き出しにしまったままだったり、弟に無断であげてしまっている状況。

こちらの好意は、すべて無に返っている。

今のいまは離れて暮らしているのに、ちっとも連絡を寄越さない。

一緒に暮らすことについて、こちらから話しを振るたびに

「本当に一緒に暮らすの?」

「平日は仕事場近くの実家に泊まって、週末だけ一緒に過ごすのどう?」

「家では別々に寝たい」

などなど、こちらの士気を下げるような言葉ばかり言ってくる。

もしかして、不倫しているのかもしれない。

探偵を雇った方がいいかもね。




そういう一つ一つの積み重ねが、

奥さんに対する不信任感を生み出す。

僕の中で、もやもやした気持ちが生まれ、

やがてそれが胸の内に重くのしかかってくる。

この気持ちを抱き続けたまま

あなたの事を、一生愛せるかどうか

疑ってしまう。

胸のもやもやをかき消すために、昨日人生で初めてタバコを吸った。一箱20本もある。

のどが痛い。

心も痛い。




とりあえず、今は堪え忍ぶ。

奥さんのクソみたいなわがままを、敢えて大人のふりして受け入れていく。

そして僕の中にあるもやもやした思いを無理やり押し潰して、一緒に暮らす。

軽率に同棲してみる。

一発えいやってやってみる。

話はそれからだ。


以前のブログで述べたけれど、

遠距離恋愛のゴールは間違いなく、同棲だ。

一緒に暮らしていく中で、なんだかんだ今までのことがチャラになるくらいお互いの心が充実するなら、それでいっかな。

違ったら、その時は離れていけば良い。

また転職すればいい。

どうでもいい世の中なんだから、

どうにだってなるんだろうよ。


それでも。

それでも、一緒になる前から、もう愛せる自信がないときはどうすればいいのか。

あと一ヶ月の事。

キスをしても愛せなくなる時が来るかも知れない。

手を繋いでも愛せなくなる時が来るかも知れない。

何をしなくても、いやむしろ何もしないからこそ、奥さんも転職も自分の人生もどうでも良くなってしまう時が来たら、一体どうすればいいのだろう。




“どうでも良くなってからが、始まりだ”




愛せなくなってからが本番。

辞めたくなってからが本番。

死にたくなってからが本番。


今の僕はきっと、公演前のステージ裏に立つ演者と同じなのだ。

誰だって幕が開ける前はそわそわしている。

観客に受け入れられるのかが分からないからだ。

観客に受け入れられなかった状況を、自分自身が受け入れらるのかが分からないからだ。

それでも本番はくる。確実に始まってしまう。時の流れは不可逆的だ。僕らは前に進むしかないのだ。

何をしてもしなくても、未来は生きている限り絶対にやって来てしまう。

ならばもう、どうでも良いと思う諦めの心を盾にしてもいいのではないか。開き直った振る舞いを行ってしまえばいいのではないか。

恐れを知らない鳥になる気持ちで、どうにでもなれという諦念を抱いたまま、清水の舞台から飛び降りてしまえばいい。

もしも同棲を始めて、奥さんに完全に冷めた冷められたとしても、

転職をしてまで奥さんの元に行ったのに離婚をすることになったとしても、

それはそれでいいじゃないか。

生きていれば、それでいいんだよ。

僕はきっと、奥さんと一緒に暮らすことで、初めて独立できるのだろう。

やる前から逃げ出すのは、これまでの費用対効果を考えても明らかに勿体無い。

どうでもいいって思える今だからこそ、次のステージに立って自分の役を演じ切ることが大切なんだ。

大切なのは、自分の気持ち。

自分の気持ちのベクトルがどこを向いているか。

それが奥さんと逆向きでも別に構わないじゃないか。

もちろん出来れば同じベクトルがいいが、違った時は相手の気持ちに自分のベクトルを乗じら勢いで気持ちを貫き通せばいい。

ベクトル同士を掛け合わせると、モーメントは力の大きい方に引っ張られる。数学Bの話である。あるいは物理基礎の話である。

大切なのは、自分の気持ち。

大切なのは、自分が奥さんを好きだと言う気持ち。


どうでもいいと感じたらそれは、本番前のブザーが鳴る合図だ。

全ては、自分の気持ち次第。

全ては、自分の機嫌を取りさえすればいい。


希望も絶望も全てを抱えて、

本番は、もうすぐそこだ。