寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり -14ページ目

寂しい夜と淋しい僕で 気がつけば世界は二人きり

想いは誰にも見えないから、このようにブログにしてみたのです。
ダメな僕を朝日とやらが映し出す時まで

「生きていれば、それでよし。」


「死にたくなったら、寝ろ。」


「世間なんて関係ない、自分がどうしたいか。」


「自分の事が嫌いな奴に時間をかけてやるほど、

僕たちは暇じゃない、僕たちには時間がない。」


「嫌いな奴からは、最高速度で逃げろ。」


「好きの気持ちは、行動で示すしかない。」




好きな作家さんが紡いだ言葉の一つひとつが

僕の人生を変えていく。

あの日、初めて結婚を意識した人に振られて

未練たらたらに毎日を泣いて過ごしていると、

たまたま立ち寄った近所の本屋さんで、

たまたまその本の背表紙を見て手に取り、

数行を読んですぐに惹かれて購入した。

アレは本当に運命の出会いだったと思う。


あの本を読んで一番学んだことは、

もっと自分本位に生きていいんだってこと。

それまでは「やさしい人間」として生きてきた。

怒らずに、周りに意見を合わせて、そして出来ればユーモアを振り撒いて生きていくこと。

それが僕のアイデンティティだと思っていた。

そう思って幼稚園、小中高大、社会人と生きてきた。


優しい人間こそ、いわゆる優良物件だと信じていた。しかし、これまで自分どのように評価されて来たかを振り返ってみると、実はあんまり良いものでもなかった。

好きな人に振られる時のセリフには決まって

「あなたは優しい人だけど…」

という枕詞が着いてきた。

どうやら誰にでも優しい人というだけでは、ダメみたいだ。

ある人にだけ特別な優しさを与えられる人でないと、魅力がないらしい。


それに世の中には優しい人なんて、僕以外にもたくさんいる。腐るほどいる。

優しい人という役回りは、僕なんかじゃなくても他の誰でもできる事だ。

いわば誰とでも代替の効く存在、汎用の人材なんて、恋人として受け入れてもらえないのだ。

誠に、世知辛い世の中だ。




だからあの時、

僕にとって本当に必要だったこととは、

優しい人間で居るという考えを捨てて、

自分勝手に生きていこうと思えることだった。

そして僕は、偶然にもあの作家さんに出会った。

失恋で全ての未来を奪われたみたく狼狽えていた僕を、あの人は心の底から救ってくれたのだ。


僕は、Fさんに命を救われた。


『いつか別れる。でもそれは今日ではない。』


今でも時々、読み返すことがある。

ここに書いてあることについては、

全てを鵜呑みにしないようにしている。

信じたいと思うことは信じるようにして、

違うなって思ったことは無視をするようにしている。

出来れば全てを体現したいと思うけど、

全部を信じ切るのではなく、

自分でしっかりと取捨選択するようにしている。

その方が、自分の意思で生きていけている気がする。

これまでの自分の生き方を改めて、

もっと自分にとって都合よく生きていきたいと思えるようになった。

僕の人生は、大きく変わった。

まさしく生まれ変わったのだ。

いやむしろ変わり過ぎた。

僕の人生は一冊のエッセイ本によって狂わされている気もする。




僕は優しい人間だった。

優しくいる事が全てだったから。

僕を嫌いな人にも優しくして、

僕をいじめる人も優しくして、

好きでもない人に告白されたら、遠回しに付き合えないことを伝えてきた。

でも伝えきれなくて、結局は付き合ってしまった事もある。


そんな中途半端な優しさこそ、

ある人にとっては堪らなく嫌に感じるのだろう。

どうせなら、嫌いな人とは距離をとって、

好きでもない人には、その気持ちを包み隠さず話してちゃんと傷付けるべきだった。(Fさんは直接的にそのようにせよとは言っていないが、そう解釈する事にした。)


そして、

本当に好きな人には、好きだという気持ちを想いほど伝えて、それを行動に起こすべきだった。

君のためなら死ねるって伝えて、

だから僕がいなくても生きていける君なんて

全くもって魅力がないって伝えて仕舞えばよかった。

それを行動で伝えるためには、

LINEなどの連絡は即レスして、

会社や友達より優先できる時は彼女のためにしっかりと断る。

コンビニスイーツを買うなどの小さなプレゼントをちょくちょく与える。

たまには綺麗なホテルでセックスをする。

そして二人きりで居る時に、好意をしっかりと言葉で伝えるべきだった。




容姿、性格、お金、運動神経、教養という

恋愛能力のパラメータがあるとしたら、

僕は正五角形なんかを目指さないでよかった。

一部のメーターだけ振り切った育ち方をしても良かった。

世渡りが上手な人たちがいる。でもそんな人気者も、一部の人間には必ず嫌われる。なぜかと言うと、そういう人はどこか秀でている能力がある一方で、他方面ではそんなにパッとしない事が多いからだ。と言うかそんな気がする。

でもそれでいても、大多数には愛されている。

羨ましい事、この上ない。


だから僕ももっと自分勝手に生きていきたい。

周りから嫌われてもいい。

と言うか、何をしていても、僕を嫌う人は遅かれ早かれ、僕を嫌う。

ならば相手の気持ちより自分の気持ちを大切にするに越した事はない。

しかし、それだけではただの自己中だ。

自己中な人間は優しいだけの人間よりも魅力がない。

それじゃダメなんだ。


だから僕は、こう生きようと思う。

基本は誰にでも優しい人間であること。

でも嫌いな人や受け入れられない人が現れたら困るから、深入りしない、されないように距離を保つ。

つまるところ、無関心になることだ。

優しさと無関心は真逆の気持ちだ。

僕が思うのは、無関心の領域ギリギリで、優しさを届けてあげることだ。

もっと分かりやすく言えば、気が向いたら優しくする。

嫌いな人には決して自発的には優しくしない。

普通の人には気が向いた時しか優しくしない。

そして好きな人や大切な人には、気が向いた時には相手の気持ちを尊重しながら最大限のお節介をぶつけたい。

もっと自分勝手に、もっと選択的に、

優しくする相手を選り好みしたらいいのではないか。




なんて事を考えてみたが、果たしてその場面が来たら、すぐに思い立って行動出来るだろうか。

人間は、忘れっぽいからなあ。

そういえば、僕があの本に出会ったときは、

失恋していたのではなく、LINEで喧嘩してむしゃくしゃしていた時だった。

そして、喧嘩明けに会うってなった時、

振られると分かっていたから手紙を書いた。

7枚くらいかな。

たくさん書いて封筒に入れて、

Fさんの本の『いつか別れる。でもそれは今日ではない』の説に挟んだ。

新宿のスタバで待ち合わせして、

案の定、別れを切り出されたから、

手紙を渡した。

それを読んでもらえたかは定かではない。

でもそれを渡した時にはすでにFさんと出会っていたことすら忘れていた。

失恋したことも忘れていた。

忘れていたことも忘れていた。

でもきっとそれでいいんだ。


覚えておく事が、優しさじゃない。

忘れる事が、優しさじゃない。

何も感じなくなった相手のことは、ごくたまに思いを馳せるくらいがちょうどいい。

人とも思い出とも距離感をとって生きていこう。

それで大丈夫だよ。

だって僕は、根はいいやつだから。なんてね。