私は他人からは幸せに見えるらしい。

「幸せそう」「楽しそう」とよく言われる。


確かに幸せだったり、楽しい事も多い。

でも、不幸な日も多い。悲しくて泣いてる日もある。

気持ちが落ち込みすぎて、一日中自分の心と向き合ってる日もある。

何もかもに疲れて何も考えられない日もあるし、家出がしたくなる日もあるし、実際に家出をした事もある。

いろんな事があるから、自分の人生を幸せだとか不幸だとか決めることは出来ない。

幸せそうと言われれば、そんな事ないと思うし、苦労してると言われても、そればかりじゃないと思う。


「再婚する前の過去に戻ったら、今の旦那さんと再婚する?」


そう聞かれた。


「絶対にしない。出会った時点で交際しないようにする。そして絶対に再婚しない」


そう言い切った私。

今の生活が不満だらけだからそう思うのではない。そういうのではない。


「絶対に再婚しないっていう、その今の気持ちって、子供達が巣立った後も変わらない?」


そう聞かれた。


「変わらない、絶対に変わらない。私は過去に戻るなら、絶対に子連れの男と再婚しない人生を選択する。この気持ちは何十年経っても変わらないと思う」


そう答えた。

これは再婚をした事を後悔しているというのとも微妙に違う。

再婚したから末っ子ちゃんに出会えた。

再婚したから、夫や子供たちとたくさんの幸せな経験ができた。

でも、過去に戻ったら、子連れの男とは再婚しない。


苦労すれば、いつかその経験が糧となって、「あの頃は大変だった。でもあの経験があるから今の自分がいるんだ」とその苦労した時間を肯定できる事ってあると思う。


でも私は”継母”になった事を肯定できる日は一生来ないと思う。継子や子供たちが巣立った後も。

夫と夫婦になった事については、後悔しないと思う。

夫と夫婦になって子供を産み育てた事。苦労も不満もあるけど、自分の人生の宝の時間だと振り返る事ができるだろう。

でも、継母になった事は後悔しかない。

1ミリも肯定できない。

一つも幸せな経験はなく、精神的な苦痛しかない。

それくらい私にとっては精神的な負担が大きすぎた。


継子が巣立った後、彼の事を思い出す事すらしたくないと思う。

記憶から消えてほしいと思うだろう。

一切関わりたくないし、継母であった時間を忘れたい。

継母でいると、私のアイデンティティは揺らぐ。

私はそんなに強くない。


継母でいる今の私は不幸かというと、それも違う。継母というのは私の一面にすぎないから。

でも継母の自分だけを切り取って考えると、何の救いもないのだ。


別にその原因が全て継子にだけあるとも思わないし、それは違う。

いろんな要因がある。もちろん、私自身の資質もその一つだ。


過去も変えられないし、今私が継母であるという事をやめる事もできない。やめれば他のものを失うから。


継母であるというのは私にとって苦痛でしかない。物事には良い面悪い面と両面がある事も多いんだろうけど、片面しかない。苦痛という片面だ。

うまく文章にできないけど。