大江健三郎さんが88歳の天寿を全うしました。
私ぐらいの世代(の文学好き)は、中学生から高校生にかけて、大江さんの小説に強い影響を受けた人が多いです。いまでは信じられませんが当時は「性的表現」がどうのこうのと、一部の中学では「禁書」にもなっていました。それと、右翼に命を狙われるようにあった「政治少年死す(セブンティーン2)」の問題もあります(1961年に書かれ、出版社が右翼の脅しに屈して謝罪。以後2018年まで出版されませんでした。だから私たちは若い頃にこの小説を「海賊版」で読んでいます)。
この「政治少年死す」の問題は、以降大江さんのなかで「文学」と「政治活動」が並列するようになったきっかけの感が(私には)あります。「文学・小説」はより私小説的になり、比喩的になり、ときに「難解」とも言われるようになり、一方で社会活動においてはヒロシマ、ベトナム戦争と社会的・政治的な意見を示すようになった。
大江さんは小説の中で「ほんとうのこと」をもう少しはっきり語りたかったのではないかな?と思います。でも小説は「虚構」は作れるけど作者の信条についての「嘘」はつけない。だから「極私的世界」を描いたり、表現がより比喩的になり分かりにくくなっていった(晩年の作品は、大江さん自らが、このことを反省して読みやすくなっています)。
政治・社会的な場では、反戦、反原発って積極的に発言しました。それは「政治的」発言は、内容をコントロールできるし、「私的」より「共同した意見」を出しやすいから?そして、この政治的な面が、ノーベル賞文学受賞経歴とともに、大江さんの死亡記事にはかなり強調されています。でも、私は大江さんが「集会」の場で発言しているのを幾度か、その場で聞いていますけど、それは「大江健三郎という人がこの場に参加している」っていう意味合いが強くて、発言内容はそれほど深くありません。そのような時の大江さんはすでに「政治化した」(政治の一場面の)存在なのかな?
などなどと思いつつ。訃報に接しました。
今年はハナミズキが咲く頃に「万延元年のフットボール」を読もうと思います。
☆写真/画像は、2011年3月14日にベランダで写したアロエの花。このアロエは2011年に初めてつ蕾を付け、そして地震の頃にちょうど満開になりました。本は文庫判の「万延元年のフットボール」。
↓この間、大江健三郎さんに関して書いたブログの記事を三つ出しておきます。
↓去年の今日のブログです。去年の今日は暖かくて、花粉が飛んで・・・、黄砂まで?