昨日に続いて「週末は新聞を読む」というテーマで書きます。
毎日新聞日曜日(24日)の1面TOP記事は「今ある自由 闘ってこそ」(記事は3面全面にも続く)。1970年代にスパイ容疑で韓国で逮捕され、いったん死刑判決を受けた在日韓国人の李哲さんと連れ合い閔香淑(幇助罪で3年6ヵ月の実刑)さんの話。1973年末(当時朴正煕政権)に留学先の韓国で拘束され1988年(盧泰愚政権)時に釈放、そして無罪を訴え続2011年に韓国で再審請求し2015年にようやく「無罪」となった。
毎日新聞はこの記事に大きく紙面を割いて、韓国という「鏡」を使って「政治権力」の問題を「他山の石」として取り上げているわけですが・・・・。
どうかな、日本の新聞、マスメディア。朴正煕~全斗煥政権当時の韓国や、現在の中国のような強権力の政府が言論統制しはじめたら、耐えられるかな?五輪にもすっかりハマってしまっていたし・・・。
などと思いながら、この記事を読みました。当時日本から留学していた早川さんや太刀川さんも「スパイ容疑」で死刑判決受け、後に無罪となったけど・・・。そのことに触れていないのは当事者への取材が難しいから? それと、1970年代当時の日本の政権(経済)と韓国の独裁政権との深いつながり(なにしろ巨額の「戦後補償金」が、韓国の政治・経済を支えていたし、それに日本政府も大きく関与していた)にも触れて欲しかった。そこが日本の政治権力」と闘う新聞のステージなのではないだろうか?
この力の入った特集記事、高尾さんという毎日新聞の記者が書いています。写真見ると白髪で髭を蓄えた風貌、さぞ年配かと思いきや,1991年入社。ならば学生時代に韓国の熾烈な言論弾圧を「ライブ」で見聞きしていないことになるのか・・・。ソウル五輪後3年後の入社。私より10際以上若いと、韓国感がだいぶ違うかな?
でも、この新聞記事で久々に韓国の1970年代のイメージよみがえりました。1970年代、私が高校生の時の渋谷のハチ公前広場は、「無実の死刑囚を救いましょう」「早川・太刀川さんを救いましょう」って署名活動が盛んに行われていて、その叫ぶような呼びかけの声は、いまもなんとなく覚えています。
ということで、今週は「韓国からの通信」など読み返しながら、1970年代の韓国情勢と、そして日本資本の韓国での動きなど再確認しようと思っています。
☆写真・画像は上から1989年4月の韓国旅行で写した慶州の民家の庭先。2枚目は昨日の毎日新聞の1面。3枚目は1970年代の韓国の姿を伝える岩波新書、「韓国からの通信}(これは他に続編が3冊あります)と隅谷三喜男氏の「韓国の経済」。
↓1年前のブログ。愛猫「ゴロ」、獣医で騒ぐの編。