木樵よ。
切り落とせ 私の影を。
実の一つもない自分の姿を見る苦しみから
私を解き放ってくれ。
(ガルシア・ロルカ「枯れたオレンジの木の歌」より)
※小海永二 訳世界現代詩文庫「ロルカ詩集」
総選挙が始まって、街はそれなりに音で溢れています。「分配」か「成長」か、というそれ自体、なにをいまさえら?って思えますが、原発、沖縄、コロナ/五輪の問題はどこへ?
それよりも我が地域は行政区が「選挙区」で分断されて、どこがどの練馬、中野、豊島なのか・・・,周辺選挙区を整理した後に残った、練馬、中野、豊島、新宿の「切り落とし」集めたような選挙区です。今回のコロナ問題でハッキリしたけど生活/社会保障の場はやはり「行政区」です。国政選挙の都合で、「国境」をあれこれと変えらても混乱するばかりです。あの人に投票しようって思っても「残念でした、選挙区違いますからね~」って感じ。ほんと、小選挙区は嫌いです。投票したい人がいなかったり、比例区でどうでも良いような人が当選したりって。
どうせなら、選挙区に合わせて「東京都豊玉区」とか「江古田区」(読み方で揉めるかも?)を作ったら?って思うほどです。
選挙の話題はここまで。
今朝も、パコデルシアのCD聴いています。
パコデルシアの初期の名盤は「幻想(FANTASIA):1969年」だと思う。ファーストアルバムの「天才」は硬さ感じたけど、このアルバムは解き放たれた感じ。3曲目の「ルシアのグアヒーラス」聴くと、なんて華麗なグアヒーラス!と感心します。
パコのCDこの「幻想」に続く「霊感(RECITAL):1971年」で、パコの音楽は次のステージに移っていきます。日本では長谷川きよしさんが「別れのサンバ」でホセへルシアーのみたいな、フラメンコのようなサンバ?のようなギターを鳴らしていたとき、フラメンコの世界はパコとそして盟友サン・ルーカルによって大展開をはじめています。1970~71年私が高校の1~2年のとき、日本は70年安保の敗北感と経済成長の高揚感がまぜこぜで漂う世相。私は昼休みや放課後にクラスルームや体育館の片隅で、同級生や後輩が必死に練習して奏でるフラメンコギターを、異世界の音楽のように聴いていました。
ああ、懐かしい。
さ、今日も仕事だ! VAMO!VAMO!
☆写真は1995年5月のコルドバの旧ユダヤ人街の路地。続く2枚のCDジャケットはパコ・デ・ルシアの「幻想」と「霊感」。
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