哲学堂公園で我が身を振り返る。老後の読書はいかに? “通勤散歩の中野哲学堂公園”(その3) | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

爆  笑 台風一過の晴天。

 日が照り続けて気温が上昇しているので、土曜朝のルーティーン「新聞を買いにコンビニへ行く」のにビーサンとアロハでちょうど良い感じでした。

 遠く見える富士にはまだ雪はなく、空はただ青く広がっています。

 

ウインク 秋、十月。

 読書のシーズン到来です。

 

 私は「老後の読書」のために、読書スタイルを作ろうとしていますが・・・・、まだ生半可な「高齢者」なので、「現実世界」への対応を迫られて読まねばならない本が多くて、なかなか難しい。しかし、「読むべき本」は、新しく発生(出版)するののにはそれほど多くなく、むしろ「再読」が意味ある(再読する本に驚いたり、新発見したり)ということに気がつきました。

 

キョロキョロ 「新しい本」は主に科学系に多く、文系には少ない。というか文系は焼き直しや希釈化したものが多くて、それはどんなに上手に書かれていても作者能力の「劣化」ともいえます。ツルゲーネフの「猟人日記」や、泉鏡花の一連の作品を越える作品は「科学系」の中にあるということ。また、経済学などはアダムスミスやマスクス以降は、常に「眼前にある現実」や「市場の動向」に対応を試みる(従ってすぐに過去の産物になる)一連の作業であって、「老後」に読むには時間を費やすだけ。読むのは極力控えたく思うのですが・・・、そうはいかないのも、また現実?

 

ニヤリ などということを、先日「通勤散歩」した中野哲学堂の写真を整理しながら考えました。哲学堂公園は、写真を見るだけでも「哲学」を促すのかもしれません。

 

 

☆写真は、9月28日に通勤散歩で立ち寄った、中野・哲学堂公園。上から公園中央の広場に配置された「哲学堂伽藍」(私が勝手にそう言っています)の、四聖堂(メインの建物)、そのまえに置かれた井上円了紹介碑(東洋大学による)、宇宙館、絶対城(図書館)の案内碑と絶対城、そしてこの伽藍空間からの出口に当たる「理外門」。