台風一過の晴天。
日が照り続けて気温が上昇しているので、土曜朝のルーティーン「新聞を買いにコンビニへ行く」のにビーサンとアロハでちょうど良い感じでした。
遠く見える富士にはまだ雪はなく、空はただ青く広がっています。
秋、十月。
読書のシーズン到来です。
私は「老後の読書」のために、読書スタイルを作ろうとしていますが・・・・、まだ生半可な「高齢者」なので、「現実世界」への対応を迫られて読まねばならない本が多くて、なかなか難しい。しかし、「読むべき本」は、新しく発生(出版)するののにはそれほど多くなく、むしろ「再読」が意味ある(再読する本に驚いたり、新発見したり)ということに気がつきました。
「新しい本」は主に科学系に多く、文系には少ない。というか文系は焼き直しや希釈化したものが多くて、それはどんなに上手に書かれていても作者能力の「劣化」ともいえます。ツルゲーネフの「猟人日記」や、泉鏡花の一連の作品を越える作品は「科学系」の中にあるということ。また、経済学などはアダムスミスやマスクス以降は、常に「眼前にある現実」や「市場の動向」に対応を試みる(従ってすぐに過去の産物になる)一連の作業であって、「老後」に読むには時間を費やすだけ。読むのは極力控えたく思うのですが・・・、そうはいかないのも、また現実?
などということを、先日「通勤散歩」した中野哲学堂の写真を整理しながら考えました。哲学堂公園は、写真を見るだけでも「哲学」を促すのかもしれません。
☆写真は、9月28日に通勤散歩で立ち寄った、中野・哲学堂公園。上から公園中央の広場に配置された「哲学堂伽藍」(私が勝手にそう言っています)の、四聖堂(メインの建物)、そのまえに置かれた井上円了紹介碑(東洋大学による)、宇宙館、絶対城(図書館)の案内碑と絶対城、そしてこの伽藍空間からの出口に当たる「理外門」。