実母を連れての旅行 なかなか大変なようです。

 

食事も一緒にしたくない 息子ドンソク

食事も全部一緒にしたい 実母

 

養父のチェサ(祭祀)で、養父の息子と大喧嘩しました。

そこへ、実母(養父の息子からすると、継母になるのでしょうか)が

 

お前たちの父親の介護をしただけでも ありがたいと思え

倒れて、動かなくなり、おしめを替えることまですべて

 最後まで世話をしたのだ

ドンソク(実の息子)にどれだけ すまない気持ちでいたか分かるのか

 

と叫びました。

 

 

初めて聞く実母の叫びでした。

 

 

ドンソクは、養父の息子に

 

さっきは騒いですまなかった。

母は癌でそれも末期だ、いつどうなるかわからない状態だ。

 

もし葬式をあげるようになったとしても、連絡はしない。

 

と言いました。

 

 

そのあと、実母の故郷に行ったり、済州島のハンラ山に登ったり、

したいことを全部しようとしました。

その間中、

 

食事は何にする?

テンジャンチゲ

 

が繰り返されました。

 

消化の悪いテンジャンチゲをなぜ実母が繰り返し「食べたい」というのか分かりません。

 

お前が好きなテンジャンチゲを食べようというのだ

 

 

俺が好きなのは

お母さんが作ったテンジャンチゲだよ

だから外ではテンジャンチゲは食べたくないんだ

 

お母さんは、朝ご飯にテンジャンチゲを作ってくれました。

 

そしてそれが最後になりました。

 

 

 

最後の最後の字幕で

 

人は地上に生まれて、不幸に生きざるを得ないことがあるが

(本来すべての人は) 

ただ幸福に生きるために生まれてきたのです。

 

と出ました。

 

 

 

全て記憶を頼りの意訳ですが、胸がじぃんとします。

 

 

 

しばらく反芻していたため、ブログへ上げるのが遅くなりました。

 

それにしても…

 

私は「チャグンオンマ 작은 엄마」を「おばさん」と捉えていましたが、

もし再婚したのなら 「新しいお母さん 새엄마 継母」と呼ぶのが普通だと聞いていたので

違和感がありました。

つまり…

「엄마」(お母さん)と呼ぶ人はまだ健在で、あとから入ったお母さん、

嫌な言い方だけれど2号さんの立場だったようです。

 

生きるためにどうしょうもなくて選択した道だったのでしょうが、

もしもう一度生まれ変わるなら

息子を思い切り勉強させてやりたい、お金の心配なく過ごさせてやりたい

と言ったお母さん

思い通りにいかなくてどれだけ切なかったでしょうか。