たまたま合流して3人一緒だから平気だった。
でも家で1人で留守番していた主婦たちは、腰を抜かして飛び出してきた。
空き地に避難した私たちはかたまって抱き合ってしゃがんで揺れが収まるのをひたすら待った。
みんな一緒だったからそんな怖くなかったけど、家から飛び出してきた人たちはずっと震えてた。
知らない他人同士だけど支え合っていかないとね。
たとえ1人でいたとしても、こういう場で安全を確認しあわないとね。
バングラの旅をともにした、1冊のノート。
あまりメモを取るタイプではないけれど、なるべくその場で聞いたこと、感じたことを書きとめようと持ち歩いた。
最後のページにはこんなことが書いてある。
「2月12日 最終日」
― 最高の旅が終わる。
この10日間で、バングラデシュから元気をたくさんもらった。
私たちは、この10日間でバングラデシュに何ができただろう?
明日から、そのお返しをしていきたいと思う。―
・・・旅は終わるけど、ここからが本当のスタート。
おなか壊すから、
生水は飲んじゃだめ、生野菜は食べちゃダメ、生果物もダメ。
↓もちろん、このサトウキビジュースも。
噂によると、とってもおいしいらしい。
いつか、このおいしさがわかるようになりたい。
そのためにも、バングラの水をきれいにしたい。
「アジア最貧国」と言われるこの国。
人と車とゴミがあふれかえっている。上からは今にも電線が降ってきそう。
でも、そんな中でも人々は明るい。
蚤取りをしている親子。遠くから微笑みかけてくれた。
このあとは気さくに話してくれた。
支援者として参加したこの旅。
いつもは支援する側。何かを与える側。
なのに、この旅では、
逆に私たちがバングラデシュから、
元気と勇気をたくさんもらった。
10日間。
―私たちと、
バングラデシュの人々が、
共に過ごした時間。
これからともに歩むだろう何十年、何百年の始まりの時間。
そして、この訪問記を書くことによって、読んでくれているみなさんともう一度旅をすることができた!
お付き合いいただきありがとうございます。
さて、次の夢は何にしようかな?
また、スタディツアーに参加してみようかな。
英語でも勉強してみようかな(←英語嫌いがこの発言。奇跡って起こるんですね。)
もう一度バングラに行ってみようかな。
いや、その前に日本にあるバングラ料理でも食べに行こうかな。
また、夢探しのワクワクの毎日が始まる。
この旅が私にくれたもの。そのワクワクの中身は・・・
①ビジネスマンとして、途上国支援に携わりたい。
②バングラで、企業と技術の必要性を感じ、自分の進んだ道が間違っていないことがわかった。今の会社でやれることをやってみたい。
③資格を取ろう。
→新しい組織で、新しいところで活動するときに役立つような。
④もう一度スタディツアーに行こう。
→早ければ年末に。カンボジアの農村で農作業するか、ボルネオで植林しながらホームステイか、ネパールの農村でホームステイか、インドの孤児院か・・・
自分の軸がしっかりしてきたから、段階を追って行く国と内容を決める。
⑤私という人間を通して、途上国の現状を知ってもらいたい。
生活を、国を、良くしようとする人たちから、たくさん学ぼう。
彼らは私たちが持っていないものをたくさん持っているんだよ!
ってことを、みんなに知ってもらいたい。
そして、
生まれた国も、
境遇も違う、
ふつうだったら出会わないだろう人たちと、
最高の時間を共有する!
↑
これ、夢!!
バングラっ子に負けないぞ!
最後に。
バングラデシュに行こうか悩んでたり、あきらめようとしていた時に、
背中を押してくれたみんな。
仕事を代わってくれた上司、先輩、
気にかけて声をかけてくれた友達、
私のつたない話を聞いてくれた人たち、
ブログを根気よく読んでくれている友達、
そして、
まさかこんなに私に大きなインパクトを与えるとは思ってもいなかった10日間を―
―ともに過ごしてくださった16人の最高の仲間たち、
ドンノバッド!!
―バングラデシュ訪問記、完―
「この子たちが作る未来を、応援したいと思った。」
スタディツアーまとめの会で、あるメンバーが言った一言。
私もそう思った!
正確には、
「この子たちが作る未来を見たい」と思った。
最終日。若干の予定変更。
渋滞を懸念して、予定を1つ削ることになった。
10日間付きっきりで案内してくれたマルフさんは、
私たちが行きたがってた、線路沿いのスラム街への訪問を削ってまでして、
私たちを博物館へ連れてった。

でも、
博物館を出るときには、
マルフさんがなぜ私たちをここへ連れてきたか、
明確にわかった。
博物館の前半は、
バングラから出土したものや美術品などの展示。
しかし、順路をたどるにつれ・・・
戦争の絵、写真、当時の新聞記事、雑誌、遺品、爆弾。
独立戦争の痛々しい歴史が「展示」されていた。
マルフさんは一つ一つ説明してくれる。
マルフさんは旅の最後に、私たちにバングラデシュの貧しい現状だけでなく、この根源となった歴史を見せたかったんだと思う。
マルフさんに聞いてみた。
「私たちは日本についてたくさん知ることができるけど、逆にみなさんがバングラデシュを知る機会はとても少ない。だからバングラデシュについてたくさん知ってもらいたかった。」
ストリートチルドレンの施設、ドロップインセンターでの交流の場で、子どもたちからこんな質問が出た。
「日本では、ぼくたちのような家がない子や親がいない子に対して、どのようなことをしていますか?」
答えにつまる。
メンバー最年長の方が口を開く。
「日本にも、65年くらい前(戦後)は、家が無かったり、親がいなかったりする子がたくさんいました。
でも、その子たちが一生懸命頑張って勉強して、働いたから、今の日本にはそのような子はほとんどいなくなりました。
今の日本の子どもたちはそんな心配をすることなくお勉強できるようになりました。
だから、あなたたちも、お勉強を頑張ってください。」
「ジー!!」
すぐに子どもたちのうれしそうな返事が聞こえた。
戦後の日本を生き抜いてきた方だからこそ、説得力がある言葉。
同じように戦争から立ち直ってきたバングラデシュ。この国の未来はこの子たちが担っている。
たまらず私も言った。
「日本に帰ったら、私もみなさんに負けないようにもっと頑張ります。」
「ドンノバーット!!」
この旅で、バングラデシュからたくさんの元気と勇気をもらった。
きっとこれからも、バングラデシュのことを思う度にもらうだろうな。
だから、
この子たちが、



この子たちが作る未来を、
ずっと見ていたいんだと思う。
そして、お返しができるように、私もがんばるんだと思う。
きっとこんな思いは、15人+1通り、あるんだろうな。
バングラ滞在中は毎晩、その日撮影した写真をメンバー(バース小林氏)PCでシェアをしていた。
この日は、バングラデシュ最後の夜。
「今日はラストナイトだから
」
ということで、仲間数名で戦カメが激写した写真を見ながら旅の振り返りをした。
一眼レフと高度なテクニックで、臨場感たっぷりの写真たちを見ると、
充実しすぎた毎日のせいかすでに懐かしくなっている日々をもう一度旅した気分になれる。
そして、もう一つ、集まった理由があった。
「サプライズ動画の撮影。」
そう、この旅の参加者15人+1。
この「+1」へのサプライズ。
+1って誰?
→プランジャパンのスタッフさんです。
プランジャパンならびにプランバングラデシュの方々のおかげで、アクシデントは多々あったものの無事に今日まで旅をすることができた。
しかし、この旅、予想以上に楽しすぎた!
これは、+1さんが、この方だったから。
だから、このノリで動画撮ろうぜ!!
しかもなんと一本撮り。
無事1発OK。
ここでおとなしく寝てればいいものの。。。
次第にテンションが上がる。
部屋には人間数名と蚊推定20匹。
人間のテンション=体温が上がれば、蚊のテンションも上がる。
写真のスライドショーがいつしか、仲間一名が過去に弾き語りして自撮りしてyoutubeにアップしていた動画鑑賞会へ移行したころ…
テンションが上がり歌いだす人間、
同じくテンションが上がり舞いだす蚊(推定20匹以上)、
追い回す長谷部(日本代表ユニフォーム)、
見つけたら退治すべく素手で立ち向かう日本人たち、
あまり気にしない私(そもそも虫嫌いだから退治すらできない)、
退治すればするほど増える蚊(推定20匹)
バングラデシュ到着時はみんな、あんなに蚊に怯えてたのに。
日本人も案外適応力あるのね。
まあそんなこんなでサプライズ動画を撮ったりと、
ラストナイトを満喫したわけですが、
いくら心は適応したとは言え、私たちの喉は正直なもので。
次の日みんな声を枯らしていた。
最終日にしてマスクマン再び勢揃い。
蚊には慣れたけど、埃と排気ガスで構成されたバングラデシュの空気には最後まで慣れませんでした