世界最底辺の人々のことを実体験で伝えてくれる石井光太氏の著書「物乞う仏陀」。
数週間かけて読み終わりました。
この本では、
カンボジア、ラオス、タイ、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ネパール、インドの娼婦、物乞い、ストリートチルドレンの暮らしに密着しています。
読んでて気になった点を挙げます。
【貧しい≠恥ずかしい】
最貧国の人たちは、貧しいことを恥ずかしいとは思っていない。
「貧しいんだからしょうがない。」
貧しい者同士、助け合っている国や地域もある。
道中、著者がベトナムの物乞いに「日本は違うのか?」と聞かれる場面がある。
著者はこう答える。
・日本のホームレスは家族と関係を断っていることが多い。
・それは恥ずかしいから。お金が稼げないことが恥ずかしい。
→仕事もない、妻や子どもを養えない。人から見下されるということ。
日本人すべてがその考えを持っているわけではないけれど、一理あると思う。
それを聞いたベトナムの盲目の物乞いは、
「わたしは目も見えないし学歴もない。できるのは物乞い。だから乞食になったんだ。これのどこが恥ずかしいんだ」
と答えている。
これとは逆に、物乞いが
「貧しいことが恥ずかしい」
と言った所がある。著者も初めて聞いたそうだ。
それは、
タイのバンコク。
東南アジアで最も発展している大都会だとやはり、「見下ろされる」感があるのだ。
【信じるということ】
ミャンマーでの話。ハンセン病患者は社会的に隔離されて、その人たちで村を形成して生きている。
病気になったり障害を持ったりするのは、前世の行いが悪いからという考えがある。
彼ら曰く、
「今苦しんでも正しい行いをすれば、来世できっと幸せになる。」
仏教でもキリスト教でも宗教じゃなくても、何かを信じて生きていれば厳しい現実を生き抜くいことができるのだろう。
「信じる者は救われる」
私のある恩人が言っていた言葉。
人間、信じるしかないんだって。
「いまいち、何も信じないなあ」
っていう人は、
信じる必要もないほど豊かな環境で育ったということなのかもしれないから、それに感謝するってのも良いかもしれない。
【悪霊=劣等感?】
ネパールのとある村の呪術師(ザクリという)の話。
どこの村にも大体いるのザクリ。
病気になったり怪我をするとザクリを頼る。
「まだそんなことがあるんだなあ」
と思いながら読んでみたけど、なるほど、彼らが払っている悪霊は実はその人が持つ「劣等感」なのかもしれない、と。
たとえば、
「私は生まれつき足が不自由。家族にも迷惑かかるし、学校なんて通えないから家に引きこもろう。これもきっと悪霊のせいだ。」
とずーっと引きこもっている。
そんなときに祈祷してもらうと、悪霊を払ってもらうと
「なんかスッキリした。ちょっと外に出てみようかな。」
足そのものがよくなるわけではないけれど、村人ともコミュニケーションが取れて、みんなは歩けるように助けてくれたりする。
確かにね。自分だけでふさぎ込んでたら何にも始まらないよね。
これって日本の若者にも言える気がする。
そして最終章。インドのお話。
以前、「レンタルチャイルド」という本でインドの物乞いについて嫌というほどリアルに読ませてもらったから、ある程度はイケるだろうと思っていたが。
やっぱりヘビーでした。
どの国の、どの話よりも。
なんでだろう。
「貧しいから」とか「稼がないといけないから」とか、
私たちの思考回路をはるかに飛び越えた観念があるからだと思う。
だから、お金のために、子どもの足や手を切り落として生かしておいて、物乞いさせられるんだと思う。インドってすごい国だ。
一言に「貧しい」といっても、それは千差万別。
その中に私たちも学べることはたくさんある。
だから恩返しに、彼らに自立の道を教えるってことが大事だなあと改めて感じました
。
また、途上国に行きたくなりました。
以下どうでもいい話。
文章書きながらyoutubeをフラフラ。偶然にも私が一番好きなB'zの歌(昔のアルバム収録曲でほとんどの人が知らない。車のエンジン音ではじまる、知る人ぞ知るあの歌です)を2009年のミニライブで本人たちが歌っている動画を発見。
テンション上がって鼻血が出るかと思った。