月初めはスカパー!各チャンネルが翌月のラインナップを発表していて、なんとTBSチャンネルでは『江戸を斬るIV』と『江戸を斬るV』を放送する。
江戸を斬る・第4部|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS
江戸を斬る・第5部|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS
ここ数年、八作ある「江戸を斬る」のシリーズは、一作目の竹脇無我主演『江戸を斬る 梓右近隠密帳』、西郷輝彦主演『江戸を斬るII』~『III』と里見浩太朗主演『江戸を斬るVII』~『VIII』をの五作を年柄年中回転ずし状態でやっているのだけど、どういう理由だったのか、間の『江戸を斬るIV』~『江戸を斬るVI』三作は全然放送されなくなってしまっていた。
上述の理由であっても、前回の記事は以前から書きたかったから(考えすぎたり、寝かし過ぎて腐ってしまう前に…)、とくになんのトピックもなく『江戸を斬るIV』のことを取り上げたのだけど、思いがけぬことにジャストなタイミングとなった。また、前回の記事では制作の概要まで示したところで終わってしまい、内容まで触れなかったことから物足りなさを感じていたので、今回はそれについて書いていこう。
三船プロで撮っていた「江戸を斬るIV」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)
『江戸を斬るIV』は、『江戸を斬るII』と『III』の続編で、江戸の治安を守る町奉行・遠山金四郎の物語。前シリーズ『III』の途中で、金四郎とシリーズ開始以来の恋仲だったおゆきが結婚したことから『IV』はなにを描くのか?となってしまう。
まぁ、「ナショナル劇場」特有のマンネリズムをさらに固めたく、引き続き、金四郎とお雪の掛け合いを中心に描いた。
そのためには、当時もっとも売れている女優だった、おゆきを演じる松坂慶子のスケジュールを確保するため、彼女が出演しやすいように京都での撮影から都内での撮影に移したんだけど、保険として、もうひとりのヒロインを作っている。
それが、女目明しのお京。新参者ならではの設定が施され、彼女は町奉行の遠山金四郎が、その正体を隠して江戸市中を見回りしていることなんて知らないから、なにかと御用の現場に出しゃばる、町人姿の“大工の金公”を煙たがる描写がコメディ・シーケンスともなっている。
そのお京を演じたのは、ジュディ・オング。当時、ジュディ・オングは本作が放送を開始した頃に、歌唱していたCM曲「エーゲ海のテーマ~魅せられて」(1979年2月25日発売)が大ヒット。なんと200万枚も売れたのだとか。それで『ザ・ベストテン』にも何週にもわたってランキングして歌唱したりと、子供から大人まで彼女の独特な歌唱時の衣装を真似して歌ったりして大ブームとなった。
『江戸を斬るIV』出演時に思わぬことでブレイクを果たす出演者が他にもいる。前シリーズ『III』から続いて遠山家の女中役でレギュラー出演していた大山のぶ代も放送中の1979年4月2日から放送が始まった、かのアニメ『ドラえもん』に主役の声優として出演。
1979年、毎日「ドラえもん」の歌がテレビから流れていた | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)
それから、『IV』からの出演となった関口宏。『ドラえもん』と同じく1979年4月2日から氏の経歴を代表する番組『クイズ100人に聞きました』が開始された。この番組も瞬く間に大ヒットを起こして視聴率が20%後半を越えるようになる。それまで月曜7時の時間枠を制していたのは日本テレビで放送されていたアニメ『ルパン三世』(赤ジャケットの第2シリーズ)だったのだけど、そのおかげで視聴率が毎回20%台前半はあったものから10%台半ばに転落してしまう。『ルパン三世』(第2シリーズ)は放送中に二度の映画化が叶ったが、1978年12月公開の第1作『ルパン三世 VS 複製人間』が大ヒットして、1979年12月公開の第2作『ルパン三世 カリオストロの城』が不入りに終わったのは、この視聴率の変動があったのも自分は原因じゃないかと捉えている。
さて、そろそろ『江戸を斬るIV』のことに話の軸を戻そう。
上述の、この『IV』から加入の関口宏が演じるのは、妻に先立たれている男やもめの同心・石橋堅吾。名前の通り、石橋を叩いて渡る性格の堅物なのだが、息子の堅太郎は父の血を引いて生真面目ながらも好奇心旺盛なキャラに描かれていて、父上の目を盗んで、お京や“大工の金公”が調べている事件に首を突っ込んだりして物語を搔きまわす役まわりとなっている。
その堅太郎を演じたのは、当時ナンバー1の子役と言っても過言ではない伊藤洋一。
本作出演前には、ナンセンス時代劇『浮浪雲』(1978年4月2日~9月10日まで放送、制作:テレビ朝日-石原プロ)に、渡哲也演じる雲と桃井かおり演じるかめの息子・新之助を演じた子役である。
浮浪雲|ホームドラマチャンネル (homedrama-ch.com)
「ナショナル劇場」は東映京都撮影所で撮られていたから、子役は関西の劇団から調達されているのだけど、彼だけは指名調達。『IV』以前から単独ゲストで出演したり、同じ京都太秦界隈で撮られていた『夫婦旅日記 さらば浪人』(1976年4月5日~9月27日まで放送、制作:フジテレビ-勝プロ)なんかにもレギュラーで出たことはあるけれど、主体の活動は都内近郊のほうであった。そして『IV』は都内での撮影となったことからレギュラーでの招聘となった具合なのである。
関口宏と伊藤洋一演じる同心父子は、次作の『V』と西郷輝彦版の最終作『VI』でも続けて登板していったから好評だったのが伺える。しかし、伊藤洋一は『VI』出演から一年半の後、1983年2月劇場公開の松竹映画『天城越え』出演を最後にフェイドアウトしてしまう。
『週刊TVガイド』1988年7月29日号の連載記事「あの人は今…」にその後の消息が載っている。当時、21歳で大学三年生。中学時代の部活から始めた軟式テニスで高校時代にはインターハイまで出場した経歴を持ち、この当時は体育会系のテニス部(いわゆるヤリサーではないほう)に所属し、夜はファミレスのバイトに明け暮れる毎日を送っているという。取材を受ける直前まで芸能事務所に所属していたとのことだが、この五、六年はなにも芸能活動の履歴を残さなかったことから意欲的ではなかったのだろう。取材時の1988年といえばバブル景気真っ只中、翌年もまだそれが続いていたから、大学4年生になった氏は就職先に恵まれたであろうかと思う。
子役からの芸能人生は、むずかしい。
いま話題となっている殺人事件にかつての人気子役が関わっていたというショッキングなニュースもあったりして。
子役からの人気と才能が、すんなり青年時代、そして大人の年齢へと入る年代の俳優活動に受け継がれない。子役で人気なのは子役だからなのと、子役としての才能があるからで、やはりその時々に出てくる天性の持ち主が人気者となる。疑似恋愛の対象ともなるアイドル俳優なんかと競合する青年時代になると、そこでもう勝てないというし、子役自身も自我が芽生えて、なにかと束縛される仕事で青春時代が忙殺されるよりも同年代が送っているような普通の人生を選びたくなるという。そっちのほうが煌びやかに見えるらしい。伊藤洋一もそうだったのかな。