今回の記事も『火曜日のあいつ』にまつわることで。この作品、なんといってもタイトルのインパクトが絶大。火曜日に放送するんで『火曜日のあいつ』なのだから忘れようがない。

 

番組枠に曜日が入るものは「水曜劇場」とか掃いて捨てるほどあるのだが、番組名にその日の曜日そのものが入った連続ドラマは『火曜日のあいつ』以外では、1983年にTBS金曜10時「金曜ドラマ」枠でやっていた『金曜日の妻たち』(制作:木下プロ)と一年毎に続いたそのシリーズ、そして同じ枠でやった後継作の『金曜日には花を買って』ぐらい。あと、強いて言えば「視聴率が獲れない金パチ(金曜8時枠)をどうにかしろ!」が由来となったTBS『3年B組金八先生』。

 

じゃあ、サブタイトルにその日の曜日を入れたものは…?と問われれば、これがかなりある。それも刑事ドラマばかり(笑)。

 

というわけで、今回はそれを探っていきたい。

 

まずは、月曜日。1970年代後半の刑事ドラマブーム華やかりし頃にフジテレビ月曜8時枠で放送していた『華麗なる刑事』(制作:東宝テレビ部)、1977年春改編期ど真ん中だった4月4日の、その第1話は印象付けるために「月曜日には紅いバラを」と洒落こんだ。当時女性人気ナンバー1と言っても過言ではない草刈正雄を主役に配していたから、なんとも似合うサブタイトルだ(第14話にも「雨の月曜日」と“月曜日”が再び登場)。

 

その草刈の役どころは、ロスアンゼルス帰りでキザだが、ちょっと間の抜けている2.5枚目の刑事を演じ、相棒として代表作『北の国から』の前から演技派で鳴らしていた田中邦衛が草刈のキャラとは対照的な薩摩男児の漢気刑事を演じた。ただただ草刈正雄のカッコいい部分だけが印象に残る作品なのだけど、もうひとつの売りとした田中邦衛とのバディ部分は正直イマイチだった印象。

 

 

2000年代にDVDソフト化されてはいるのだが、それっきりの現在廃盤で、超プレミア価格が付いている。最近、とみに東宝テレビ部のレアな作品をDVD化しているベストフィールドには是非とも復刻してほしいところ。お願い!

 

火曜日は『火曜日のあいつ』があったためか、日本テレビ9時枠の刑事&アクションドラマに“火曜日”とサブタイトルが付けられたものはなし。他の曜日に関しては、1977年7月12日に放送された『大都会PARTII』(制作:石原プロ)の「炎の土曜日」があったのみ。内容はパトカーと乗務していた制服警察官が炎上する事件が発生して管轄の城西署・黒岩軍団が捜査にあたり、現場にバイクのタイヤ痕があったことから暴走族に容疑を絞ってみたら…というもの。

 

裏番組のTBS『かあさん堂々』には実弟の渡瀬恒彦が主要レギュラーで出ていた

 

当時、刑事ドラマには社会問題のひとつであった暴走族を題材とした回が頻繁に作られていて、だいたい彼らが徒党を組んで走る土曜日の夜が犯行の舞台となっていた。金曜日8時、日本テレビ『太陽にほえろ!』(制作:東宝テレビ部)の裏でやっていたTBS『七人の刑事』(TBSの自社制作)でも暴走族の問題を取り上げた「悪魔の土曜日」というサブタイトルのものが1978年12月15日に放送されている。

 

 

水曜日はTBS8時枠の大映テレビ制作による一連の刑事ドラマがあり、『夜明けの刑事』では「山口さんちのツトム君誘拐事件」などといった、じつに珍妙なサブタイトルを毎回のごとく付けてはいたのだが、曜日に関するものは1983年放送の最終作『婦警さんは魔女』までなし。

 

同じ水曜日にテレビ朝日10時枠で放送していた『特捜最前線』(制作:東映)がその枠での放送時にはなかったけれど、1985年秋改編期で木曜9時枠へと移った後、1986年5月15日に放送された「木曜日の暴行魔!疑惑の単身警官待機寮」があった。

 

 

『特捜最前線』お得意のレイプネタ回で、毎週木曜日の夜に発生している未解決の婦女暴行事件へ関する匿名の投書が警察に届けられ、犯人は警察官の独身寮、サブタイトルに出てくる単身警官待機寮に入っていったということから特命課が潜入捜査を行うというもの。刑事ドラマは、高級スポーツカーが捜査車両だったり、拳銃もバンバン撃ったりしてファンタジーの部分が多い。私生活の描写もその部分が多くて、キャラクターを出すために独身刑事が侘しい木造アパート住まいだったり、面倒見の良い大家の婆さんがいる下宿生活だったり、あるいは金持ちの実家から通っていたりするんだけれども、現実は待機寮へ強制的に住まわされている。翌1987年に始まった『ジャングル』(制作:日本テレビ-東宝テレビ)と『大都会25時』(制作:テレビ朝日-東映)でも待機寮に住む警察官をフィーチャーした回が作られていき、その部分は是正されることとなった。

 

1987年4月、「大都会25時」のみた夢は | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

刑事ドラマとは違うが、1981年にフジテレビの木曜8時枠で放送されていた『キャンパスアクション・探偵同盟』(制作:セントラル・アーツ)には「木曜日マヤは寝坊した」(1981年2月12日放送)なるものがある。マヤとは森下愛子が演じるレギュラー・キャラの麻耶とのこと。この作品、主演の加山雄三が同じ木曜のテレビ朝日10時からやっている『加山雄三のブラックジャック』(制作:松竹)と1981年1月8日に同日スタートしたことがトリビアとして知られているけれども、『探偵同盟』のほうは所謂“ボス”役のポジションで、終始出ているのは若手のこの森下愛子や宮内淳ばっかりだったみたいだから、“ブラックジャック”のほうがメインであったようだ。

 

 

日本テレビ金曜日8時に放送していた『太陽にほえろ!』(制作:東宝テレビ部)は、初代新人刑事・萩原健一演じるマカロニ刑事の殉職回「13日金曜日 マカロニ死す」(1973年7月13日放送)があまりにも有名なのだが、新聞のラテ欄では「マカロニ死す」とだけ付けられていたのは意外。

 

 

1976年と1978年の再放送回でも「マカロニ死す」。1987年2月から3月に掛けて『太陽にほえろ!』(PART2を含む)が終わる記念としてセレクション放送されたときは、その放送日が奇遇にも13日(金)だったことから“これはいいや!”と勢い余って「13日金曜殉職す!!」とオリジナルのサブタイトルが付けられてしまうまでに。

 

 

「太陽にほえろ!」再放送ヒストリー・プロジェクト その8 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1973年から6年後の1979年7月13日も金曜日で、この日は宮内淳演じるボン刑事の殉職回「13日金曜日・ボン最期の日」を放送。こちらは新聞のラテ欄にそのまま掲載。

 

 

上述した1987年におけるセレクション放送時は3月6日で一応金曜日だったものの、やはり「13日金曜最期の日」とオリジナルなサブタイトルに変更。この枠では毎回の放送後、4時54分からいつも番宣番組を放送して、通常はラテ欄にも記載されないんだけど、この時期は『太陽にほえろ!』(PART2を含む)後番組『ジャングル』の番宣番組で埋め尽くしていて、そちらのほうが大事であったから。

 

 

『太陽にほえろ!』はこのふたつあった殉職回のほかにも、もうひとつ金曜日がサブタイトルに入っている回があり、1983年3月18日放送の「金曜日に会いましょう」。

 

10時からTBSで『金曜日の妻たちへ』をやっていた時期に放送

 

内容は、ひき逃げ事件が発生して、被害者の女性は意識不明であり、逃走した犯人によるものなのか、身元を示す所持品も持ち去られ、家族・知人も誰一人問い合わせをしてこなかったことから、七曲署捜査一係は被害者の身元割り出しが出来ずにいたところ、当初は無碍に断ってしまった、サッカー少年たちが依頼した捜索人物ではないかと突き当たる。それは毎週金曜日に公園でサッカー少年たちへ翌日発売の週刊少年漫画誌に掲載されている人気サッカー漫画のあらすじを話してくれる女性で、やはり同一人物であった。だけれども、サッカー少年たちは女性の本名も知らなければ、どこの誰かさえも知らなかった。そこで七曲署捜査一係は「なぜ、女性は発売前なのにそのサッカー漫画のあらすじを知っていたのか?」、唯一の手掛かりとなったその線に絞って捜査を進めていく。

 

いまでは、というか、当時から公然の秘密となっていた週刊少年漫画誌の早バレをこの回のネタにした。モデルとなったサッカー漫画は当時から大人気だった『キャプテン翼』(同年4月よりアニメ化もされてテレビ東京にて放送開始)かと思う。掲載誌『週刊少年ジャンプ』は当時毎週火曜日が公式の発売日であったが、その何百万部という途方もない発行部数の多さから印刷と製本は前週末には済んでいて、首都圏の書店ではない雑貨店などでは販路の関係で卸元から搬入される土曜日には入手出来た(都心ではさらに金曜日の夜には入手出来たというまことしやかな噂もあった)。この回ではそこまではリアルに追及していなくて、関係者にとってはまだまだ秘匿の期間である、翌日発売の内容をどうして知り得ていたのか?ということに、よくあるネタで“都会の孤独”を掛け合わせた。

 

おっと、『太陽にほえろ!』の話題を出すとついつい長くなってしまうから、そろそろ次の土曜日に移ろう。

 

土曜日といえば『Gメン’75』(制作:東映)。1976年4月24日の「土曜日21時のトリック」には放送曜日とともに放送時間まで入れ込んだ。

 

 

ここまで拘ったのは、ラテ欄対策そのものだろう。裏番組であり、ラテ欄で隣に記載されている日本テレビ「グランド劇場」枠は、出演者が豪華絢爛ながら、その実ありふれたホームコメディドラマのタイトルに『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』なる奇怪なものを付けていたのだ。

 

 

TBS土曜9時枠『Gメン’75』の前番組『バーディー大作戦』(1974年~1975年)は思うような視聴率が獲れなかったことにより、TBSが制作元の東映とは1975年秋改編期に入るまでの放送分で制作完了させ、後番組の制作プロを未定とするに至った。なんとしてでも番組枠を死守したい東映側はそこで起死回生の策として、出演俳優たちとの契約も一旦完了する、放送一年の区切りとなる5月で打ち切って、荒唐無稽なそれまでの世界観とは異なり、警察の中の警察というリアルかつハードボイルドに徹した『Gメン’75』を背水の陣で始めたところ、当初より好評で瞬く間に20%越えの高視聴率番組となって土曜9時枠の覇権を掌握したことは知られる。

 

当然その煽りを喰らったのは裏番組で、日本テレビの「グランド劇場」枠は奇策に撃って出る。1976年春改編期、いままでと同じ流れによる普通のホームコメディドラマをどうやって観てもらうのか?、導き出した答えが、週に68本もドラマがある中で一番突拍子もなく、一番長いタイトルを付けて、ラテ欄で映えるようにしようというもの。ただ、その効果も短い期間限定だから、当時のスタンダードである2クール半年間の放送という悠長なものではなく、1クールの半分以下、4~8話程度のミニシリーズで1977年まで一年半近く、十作以上続けていく。しかし、どこ吹く風の『Gメン’75』は青天井でその人気と視聴率は上がり続けていって、この通称・「長いタイトルシリーズ」は大した効果が得られなかった。

 

一丁目物語 ゴッドマザーの二度目の青春|ホームドラマチャンネル (homedrama-ch.com)

昨年、ホームドラマチャンネルで放送された、その「長いタイトルシリーズ」の一作。

ホムドラは初回放送してからしばらくしてリピートをやる慣例があり

現在まだされていないから、またやる可能性もある

 

さて、『Gメン’75』に話を戻そう。この番組は脚本の使いまわし、まぁ良く言えばリメイクが多々ある。この「土曜日21時のトリック」はよっぽど出来が良いと感じたのか、翌1977年12月24日のクリスマスイブに、そのものずばり「X’マスイブ21時のトリック」としてお色直しした。しかも、犯人役が内田朝雄まで同じで。

 

 

『Gメン’75』はサブタイトルにカレンダー的なものを取り入れているものが多い。曜日ではないが、1977年1月1日のものは「’77元旦デカ部屋ぶっ飛ぶ!」と力技だ。

 

 

『Gメン’75』には他にも1976年11月13日に放送された『土曜日の幼稚園ジャック』、それから1979年に放送された「土曜日にネズミを殺せ!」がある。後者の方を紹介しよう。著名な洋画『日曜日には鼠を殺せ』(1964年製作)の邦題をモジったものなのだが、映画とも、その原作とも違い、劇中が土曜日その日でもない。まぁ、たんなる言葉遊びに過ぎなかった。なのに、これが曰く付きの回となってしまった。当初は1月27日に放送が予定されていたものを、当日になって番組は休止となり、3月24日の放送分に廻されてしまう。

 

こちらは実際に放送された3月24日(土)の番組表

 

前日1月26日(金)の午後から衆人環視のもと、いや、それどころか、全国民大注目となって現在進行形に起きていた事件が原因である。かの有名な「三菱銀行人質事件」と呼ばれるもので、大阪にある三菱銀行北畠支店に猟銃強盗が押し入り、奪取した現金を持って逃走する間際に外勤警察官たちが到着。ところが、すでに行員を一名射殺している強盗は観念するどころか応戦してきて、そのうちの二名をもさらに射殺。包囲網が築かれて逃げ場を失った強盗は銀行内へ行員や居合わせた客たち数十人を人質にして籠城するという、まさに刑事ドラマさながらの展開となっていく。

 

夕刊の段階でもまだ番組が休止されることが示されてはなかった

 

この「土曜日にネズミを殺せ!」のテーマは、正義を司る警察官側なのに絆が断絶した父子と、悪に染まった強盗側なのに絆が固い父子たちが織り成す対照的な葛藤劇なのだけど、話の筋は銀行強盗たちが現金を奪取して銀行から逃走しようとした際に駆け付けた外勤警察官を射殺して一時は逃走に成功するも、強盗側でもその銃撃戦の際に一人が瀕死の重傷を負ったことから遠くへ逃げ延びることは叶わなかった。そして、逃げ込んだ廃屋がGメンをはじめ警察側へと早々に知られてしまう。強盗たちは負傷者を手当てして貰っていた医者をそのまま人質としたが、現場に踏み込んで強盗たちと対峙していた外勤警察官の志願によって、事件には関係ない医者との人質交換が行われて籠城戦へ縺れこんでいく。Gメンは替わりに人質となった外勤警察官の安全を第一に図るため、屈辱的にも“警察は手出ししない”という要求を呑んで、強盗たちは再度逃走しようとしたところ、経歴に傷を付けたくない現場指揮を執っていたエリート警視の独断専行で、無惨にも人質の外勤警察官ともども犯人たちは射殺されて『Gメン'75』ならではのバッドエンドを迎えるという展開なのだ。


現実の「三菱銀行人質事件」も翌1月28日(日)の朝に犯人が銀行内に突入した警察の特殊部隊によって射殺されてセンセーショナルな終結となったが、1月27日(土)の午後9時時点では膠着状態のままでなんの進展もなかった。NHKでさえ、この時間帯は通常放送していたくらいである。しかし、「土曜日にネズミを殺せ!」はその話の筋があまりに酷似していたため、TBSは放送を見合わせて、「三菱銀行人質事件」の現場周辺から生中継する緊急報道特番に差し替えたというわけである。

 

当時、『Gメン’75』はその全盛期であったが、実はこの時期に窪みというか、視聴率が平均より低い20%にも届かない状況に陥っていた。それには理由があり、前年末に裏番組であるフジテレビのドラマ『白い巨塔』(制作:田宮企画、フジプロダクション)に主演していた田宮二郎が猟銃自殺を遂げたことから。1978年6月の開始時にその話題性から『Gメン'75』に迫る高視聴率でスタートしたものの、第2話以降は10%台そこそこ、一桁台もめずらしくない低視聴率がずっと続いていて、自殺直前の頃は巷の話題にもあまりなっていなかった。その『白い巨塔』が主演の自殺というテレビドラマ史上前代未聞の事態で“時の人”ならぬ“時の番組”に一躍なってしまう。自殺直後の1978年12月30日放送回は26.3%とそれまでの平均視聴率から倍以上もの数字を獲得し、田宮二郎演じる主役が原作通りに志半ばで死んでしまう、1979年1月6日放送の最終回は31.4%も獲っていってしまったのだ。

 

『白い巨塔』最終回の番組表

『Gメン’75』のほうは恒例のお正月回で、女性Gメンが晴着ファッションだったり

『キイハンター』の脚本を使いまわしたサスペンスフルだがコミカルな話

 

『Gメン’75』はこれが祟って、『白い巨塔』が終わった後も1979年1月中は20%に届かない視聴率しか獲れずにいたところ、膠着状態だったとはいえ、リアルな刑事ドラマを観ているかのような「三菱銀行人質事件」緊急報道特番はGメン視聴者の血がたぎったのか、視聴率23.6%も獲るに至った。そして、それが功を奏したのだろう、次週からとなる2月と3月は一回だけ19%台があった以外、いつもの通りに20%越えの高視聴率を再び獲得していく。

 

最後は日曜日…、ということになるのだが、テレビ朝日で『西部警察』(制作:石原プロ)から続く8時枠の刑事ドラマ、1979年にフジテレビ系の関西テレビが同局でやっていた『どてらい男』と同じノリで作っていた9時枠の『刑事鉄平』にもない。

 

あるのは1980年から1981年にテレビ朝日月曜8時枠で放送されていた『走れ!熱血刑事』(制作:勝プロ)に「日曜はロックンロール」という、原宿の歩行者天国で踊る若者たちがビニール製じゃなくて本物の革ジャン欲しさで犯罪に手を染めるという回。

 

 

それから、灯台下暗しで『火曜日のあいつ』(制作:TBS-東宝)の裏番組、NET(現・テレビ朝日)でやっていた『新・二人の事件簿 暁に駆ける』(制作:朝日放送らNET系8局共同-大映テレビ)にもあった。『火曜日のあいつ』終了から二週間後の1976年10月12日に「恐怖の日曜日」というサブタイトルのものを放送。主役のひとり、高岡健二演じる真樹刑事が非番の日に普段から家族同然で一緒に過ごしている少年を連れて、静岡県にある遊園地、富士急ハイランドへ遊びに訪れていたところから始まる。そこで売上げ金強盗が発生し、たまたま近くに居合わせた真樹刑事が追い詰めると強盗グループは真樹刑事もろとも周囲の客数人を拳銃で脅して人質にとってしまうという展開のサスペンス回となっている。まっ、遊園地に子連れで来るのは平日の火曜日じゃサマにならないから日曜日なのである。

 

うーん、というわけで、日曜はダメ!!

 

日本テレビ土曜11時からの『今夜は最高!』が休止期間中

1982年4月10日より半年間だけ放送されたのが『日曜はダメ!!』

あと一時間で楽しい土曜日が終わってしまう、秀逸なタイトルだと思う