先日なにげに1982年放送のコメディ・ドラマ『俺はご先祖さま』(日本テレビ-オフィス・ヘンミ)を観ていたところ、その最終回で、主演の石坂浩二演じる、しがないサラリーマンが小説家になるという夢を叶えてリッチになった象徴として、トヨタの最高級車ソアラ2800GT EXTRAを乗り回している場面があった。その当時、トヨタから『太陽にほえろ!』に劇用車として貸与されていたそれとまったく同じボディカラーでナンバーが一つ違いの「品川33 と 75-60」なる広報車の一台。以前、7台あった2800GTの広報車を隈なく調査したつもりであったが、「こんな近くに大ネタがあったなんて…」と、自分の不明を恥じることよりも、新発見に嬉しさが沸いた。

 

「太陽にほえろ!」に出ていた初代トヨタ・ソアラを追え! | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

こうした思わぬ遭遇は、日々あるものだ。

 

それは、もう先々月のことになるのだが、プロ野球のDeNAベイスターズは選手間で大量に新型コロナウイルスの陽性反応者が出てしまったことで、直近の4月9日~4月11日に横浜スタジアムで行われるはずだった対中日ドラゴンズ三連戦を中止したことから始まる。

 

4/8(金)、4/9(土)、4/10(日)横浜DeNA 対 中日戦は中止 | 横浜DeNAベイスターズ (baystars.co.jp)

 

それで、ベイスターズのホームゲーム全戦を完全中継するスカパー!のTBSチャンネルでは、雨傘番組用に用意していて中止ならばいつもそうしている、大映テレビ制作の古い2時間サスペンスドラマを3本連続で流していたのだ。しかも、三連戦とも急遽流れたことから、手抜きにもほどがあって三日間とも同じラインナップで…、ほんとただの穴埋めになっていた。

 

そのなかの一本、1982年7月24日放送の『消えたスクールバス』を観ていて、“あること”に驚いた。この作品、以前から頻繁にやっているさして珍しいものではなくて、自分は“ながら観”ながら視聴済だったり、以前に録ってはいてもそれっきりにしていた、あまり気になる作品ではなかった。なのに、今回はそのときにあまりにも暇だったんで最初から最後まで通しで観たことから“あること”に驚いて今回のネタを書くことに。

 

ザ・サスペンス「消えたスクールバス」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

あらすじは、幼稚園の園児送迎用スクルールバス(といってもワンボックスカー)が運転手と十人の園児たちを乗せたまま拉致されてしまって、幼稚園に一人頭1000万円の身代金要求がなされることになる。複数の児童誘拐が同時発生したものだから、被害者側である、幼稚園の職員たちは慌てふためくばかりだし、園児の父兄たちは自らの都合を優先させるものだから喧々囂々となり、この非常時を一丸となって対処出来ない始末。さらに、身代金受け渡しを装った警察の包囲網も不調に終わり、解決の糸口は一向に見えなくなっていく。そんな中、抜け駆けで父兄の一人が誘拐犯の要求通りに、他の父兄や警察へは秘密裡にして自分の子供だけは返してもらえるように身代金を渡すという状況が作られる。それでコソコソと街中に出て、その身代金を銀行から引き出し、誘拐犯への受け渡しに行くクルマというのが…

 

当時現行型だったトヨタ・セリカLB(リフトバック)。

 

『消えたスクールバス』より

これから乗り込むドライバーは「角野卓造じゃねぇ~よ」のホンモノ

 

 

ボディカラーは赤一色で、高性能なDOHCエンジンを搭載する上位グレードのGTならば専用アルミホイールと太いタイヤが装着されているところ、“鉄チン”と呼ばれる汎用のスチールホイールと細いタイヤを装着した廉価帯の低いグレードだったから、「これは、まさか…!?」と、まあ記事のタイトルには掲げているけど(笑)、さっきからもったいぶっている“あること”が頭を過っていく。

 

その“あること”とは、『消えたスクールバス』放送の半年前、1982年2月5日放送の『太陽にほえろ!』第494回「ジプシー刑事登場!」にスコッチ刑事の後任としてジプシー刑事が登場するとともに、ほぼ専用捜査車両として一緒に登場してきた赤いセリカLBと同一車両なんじゃないのか?、と。

 

三田村邦彦演じるジプシー刑事は、入れ替わりに前回で殉職降板した、沖雅也演じるスコッチ刑事のそれも初期の設定を受け継ぐ“一匹狼”キャラだったことから、命令無視の単独行動をするのに既存の捜査車両ではなく、新規に一人乗りで使う専用捜査車両が与えられていた。それが、赤いセリカLBなのである。

 

当ブログの読者諸兄ならばご存じのことだろうとは思うけれど、ここで『太陽にほえろ!』の捜査車両について改めて触れておきたい。1972年の番組開始時は番組スポンサーのひとつが鈴木自動車だったことから新人刑事第1号・マカロニ刑事の愛車は同社のジムニーだったりしたのだが、鈴木自動車が降板後は、トヨタが番組スポンサーにはならなかったものの、制作協力として捜査車両用に同社の現行販売車を随時提供していた。ジプシー刑事が登場した1982年初頭のラインナップは、自動車電話も着いていたクラウン・ターボ、そしてソアラとセリカXXという三台。

 

徒然なるままに、クルマを中心に「太陽にほえろ!」 in 1981 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

そこに上述のセリカLBが加わった4台体制となる。しかしながら、前年に投入されたソアラ2800GT EXTRAとセリカXX2800GTが共に最高級車種の最高グレードだったのに対して、このセリカLBは中堅車種で、さらには上位グレードのGTではないSTという下から二番目にある低いグレード。上位グレードへは標準装備とされるサイドプロテクションモールもないその貧相な見た目からして如何にも安モンだったのである。

 

しかも、このセリカは不格好なフロントデザインだったことから、誰が付けたのか、ヒラメセリカなる蔑称を付けられる羽目に。登場時、上下真っ黒な革のスーツとシルバーアクセサリーでニヒルにキメて登場してきた二枚目キャラ、ジプシー刑事に、真っ赤な2ドアスポーツカーは似合っているとは思うものの、あの間抜けなフロントデザインはいただけなかった…。幸か不幸か、そのギャップが一周も二週も地球何周も廻って、いまでも『太陽にほえろ!』ファンに強烈な印象を残しているのは皮肉。

 

毎週の放送だったので、回を追うごとにジプシー刑事の“一匹狼”キャラが丸くなっていったことから他の刑事たちと徐々に打ち解けて既存の捜査車両へも同乗するようになったり、番組が4台体制を維持するのは困難だったのか、この赤いヒラメセリカは、1982年2月5日の登場からわずか二か月後、4月2日放送の第502回「癖」を最後に姿を消すことになる。

 

そして、1982年7月24日にTBS「ザ・サスペンス」枠で放送された『消えたスクールバス』のなかで登場してきた同じ赤いセリカLBなのである。

 

「ザ・サスペンス」枠は1982年4月から土曜日夜9時に放送されていて、それまで七年間続いた『Gメン'75』の後番組。『Gメン’75』にはトヨタが番組スポンサーをしていたので『太陽にほえろ!』とともに捜査車両として現行販売車が提供されていた。番組自体が替わったものの、トヨタは引き続き同枠の番組スポンサーだったことから、「ザ・サスペンス」枠の作品には登場人物たちによって自動車が使われる場面には同社の現行販売車が毎回登場する慣わしとなっていた。『太陽にほえろ!』に4月で消えた赤いヒラメセリカが、まだ新車として世に出て一年弱、番組でもわずか二か月間しか使われなかったことから、7月に放送する「ザ・サスペンス」枠のドラマで再登場することは理に適っていたと思う。

 

しかし、結論から申せば、残念ながら『太陽にほえろ!』で使われていたものと同一車両ではなかった。まず、ナンバーが違った。それでも「ダミー・ナンバーに付け替えられていたのでは…」と未練がましく探っていくも、『太陽にほえろ!』のSTには存在しないリアワイパーを見つけるに至って敢え無く観念した。

 

最後の出演となった第502回「癖」より

ドライバーはラガーで、助手席にドック。終盤は捜査一係の若手が乗る汎用車となっていた

 

この回のテーマである、ドックがこれから巻き込まれる災難を予兆するかのように

ドアに指を挟んで痛がるコメディ・シーケンスで使われて出番はお終い

 

 

鉄チンホイールを標準装着したセリカには4つのグレードがあって、いずれもDOHCエンジン搭載車ではなく非DOHC搭載車の廉価グレード。その最上位は、なんちゃってでもいいから上位グレードのGT=DOHCエンジン搭載車の雰囲気は充分に味わえるように走行性能以外の装備がある程度充実している1800SXというグレードで、リアワイパーだけではなく、サイドプロテクションモールや鉄チンに被せるホイールカバーが標準装着されるなどして見た目がぐっと違ってくる。その下のものから、如何にも安っぽい見た目となっている。

 

上から

1800ST-EFI … リアワイパー有

1800ST … リアワイパー無

1800SV … リアワイパー無

となる。

 

『太陽にほえろ!』のは内装に最下位のSVにはないトリコロール柄のドライビングシートがある一方でST-EFIには標準装着となるリアワイパーが無いことから真ん中のSTと判断が着く。そうなると、リアワイパーが有る『消えたスクールバス』のはSTよりも上のST-EFIだと断定出来た次第。

 

昔のドラママニアの拗らせた推測というか思い込みから、「すわ同一車両!、新発見!」と独りで色めきだったが、「なーんだ…、がっかり」と結局は違っていて、ぬか喜びに終わってしまった。

 

さて、『太陽にほえろ!』と『消えたスクールバス』に登場した赤いヒラメセリカのことはこれくらいにして、ここからはそのヒラメセリカなる三代目セリカについて、何故に、あの不格好なフロントデザインが与えられてしまったのか、それを探っていきたい。

 

三代目セリカは、1981年7月に上位車種である二代目セリカXXと同時にフルモデルチェンジが発表された。クルマ好きの憧れ、フェラーリやロータス・エスプリにも通じる、同社ではトヨタ2000GT以来の格納式リトラクタブル・ライトを与えられたセリカXXのデザインは称賛された一方で、一般的な格納式ではなく、すでに剥き出しでライトが表面に出ているものがポップアップしてくるという特異なリトラクタブル・ライト(トヨタ曰く、ライズアップライト)を与えられた無印のセリカは、発表当初からその奇妙な面持ちが物議を醸すことになった。

 

子どもから大人まで、このスタイリッシュなセリカXXのデザインは諸手で歓迎された

スポーツカーにとってその人気のバロメーターとなるプラモデルでそれを伺える

セリカXXは各メーカーからこぞって出されたものの、ヒラメセリカのほうはひとつもない…

 

 

それは、セリカというクルマが背負っていた“宿命”から来るものであった。

 

そのセリカの“宿命”を語る際に、忘れてならないのが姉妹車のカリーナという存在である。

 

1970年10月、初代カリーナは、かの初代セリカ(いわゆるダルマセリカ)の姉妹車として同時に生まれた。いままでのトヨタ車、そして日本車のどれにも似ていないセリカのデザインが未来的、言うなれば突拍子もない感じにも捉えられることは想定済みで、その“保険”としてコンポーネントを丸ごと共有し、外装は保守的なデザインとしたものがカリーナなのである。しかし、初代セリカのデザインは外車に憧れつつも等身大のスポーツカーや遊び車を求めていた若い世代全般に渡って絶大な支持を集めたことから、“保険”としての保守的なカリーナは霞むことになる。“保険”が活きたのはセリカもカリーナも二代目以降になってから。

1977年8月、セリカは二代目にフルモデルチェンジするのだが、外装デザインは販売の主戦場となったアメリカにあるトヨタのデザインスタジオ、CALTY主導となったことで日本人好みから外れることになってしまった。カリーナのほうも主に欧州向け輸出車としての顔は持ってはいたが、セリカよりも日本市場を重視していたことから引き続いての保守的なデザインとなり、日本人にとって今度は裏目と出てしまったセリカのデザインを嫌悪する層の受け皿となっていった。1979年8月、ビッグマイナーチェンジで、セリカもカリーナも大幅なフェイスリフトが施されることになる。どちらも丸型ライトから角形ライトに変更されてカリーナのほうは伝統的なトヨタらしいコロナ顔からスラントノーズになるなどその部分だけ見ればまったく別の車に様変わりした。セリカは前期型の間抜けな面立ちから引き締まった面立ちに替わったのだが、その顔はビッグマイナーチェンジ前に出された上位車種のセリカXXと酷似していて、セリカという車に求められる新鮮味がまるでない。つまるところ、トヨタの新しいデザインを創り出すクルマとしての“宿命”を放棄してしまった。

名よりも実を取ったはずのセリカはこのビッグマイナーチェンジでも日本市場は挽回出来なかった。セリカがCMで「名ばかりのGT達は、道を開ける」と性能面で挑発していた、ライバルのスカイライン(いわゆるジャパン)はモデル末期ながらターボ・モデル投入でフルモデルチェンジ直後よりも話題をさらっていたのに、セリカはそんなこんなで、いつの間にか、スポーツカーの主役から降ろされてしまった。セリカの凋落を尻目に、“保険”のカリーナは堅調で1981年に三代目へと移行するまで販売台数が落ちなかったという。ここらへんが「技術の日産」に対する「販売のトヨタ」らしいところ。当時、日産はブルーバード(ジュリーによる名文句、お前の時代だ)が乗用車としては月販台数が27か月間連続で一位を取っていたものの、全般的にはトヨタとの差が開いていた。

1981年7月、上述したようにトヨタはセリカXXと無印のセリカを同時にフルモデルチェンジさせるのだが、無印のセリカは、もはやXXの廉価版としてしか見られなくなってしまったことに追い打ちをかけてしまった。トヨタとしてはそこは拭いたく、“宿命”を思い出して、あえてXXとは違う顔を与えたのだが、あのヒラメ顔は全否定されていく。

 

セリカ発表時の自動車誌『ベストカーガイド』(現・ベストカー)1981年9月号には、トヨタのデザイン部長とセリカ開発主査(開発責任者)のインタビューが載っており、あの物議を醸すデザインに対して以下のような狙いで創り出したことをコメントしている。

 

「結局、個性は存在感ということになりましてね。(中略)たんに顔や姿の美しさだけでは、もはや見向きもされない。どこか際立つところがなければ…」

セリカがフルモデルチェンジしたら、カリーナも、ということになるのだが、その三代目は二か月遅れの9月となった。本来ならば、セリカに対して「80年代のこれからをリードするスタイリッシュなデザインだ」などと提灯記事で踊るはずの自動車誌にヒラメ顔の悪評が憚ることなく載せられ、もはや取り返しのつかないところまで来たところに保守的なカリーナの登場である。

 

なお、価格面では、カリーナの同グレードに対して10万円高がセリカのクーペモデルで、20万円高がセリカのリフトバック・モデルとなっていた。オーソドックスな固定ライトのカリーナに対して、ライズアップライトのギミックとセリカというネームバリューの分、割高となっている。

 

無印のセリカとカリーナは一年後の1982年秋、今度はほぼ同時に小マイナーチェンジをしてきて、ともに外装デザインは変わらないものの、トップグレードに日本初のDOHC+ターボとなる超強力なエンジンを日産スカイラインターボRSに先駆けて搭載することになる。

 

自動車誌『ドライバー』1983年2月20日号ではその仕様のカリーナを発表直後に購入した読者レポートが載っており、それにも忖度などまったくなく、一年経ってもヒラメセリカは罵られている。もはやセリカというネーミング自体に販売の神通力は無くなっていた。

 

【昭和の名車 142】3代目 トヨタ カリーナはツインカムターボを搭載して圧倒的な性能向上を実現 - Webモーターマガジン (motormagazine.co.jp)

 

「どうせ3T-GT(件のDOHC+ターボエンジン搭載モデル)を買うのだったらセリカLBのほうがよかったのでは、と友人にいわれたが、セリカXXのスタイリングならともかく、セリカのスタイリングは好きじゃない。基本コンポーネンツを同じにしながらもシンプルで力強さを感じさせるカリーナが好きだ」

 

また、この特集には3T-GTと同時期にセリカXXの2000㏄モデル(5ナンバー車)にも待望のDOHCモデルがラインナップされ、それを購入した読者レポートも載っており、同じ二代目セリカXXで5ナンバーの非DOHCだったターボ・モデルが事故って修復歴ありとなってしまったことからの買い替えであったとセリカXXそのものに惚れ抜いていることが綴られていた。

 

【昭和の名車 81】トヨタ セリカ 1800GT-T:昭和57年(1982年) - Webモーターマガジン (motormagazine.co.jp)

上記のカリーナGT-Tとまったく同じ仕様。この顔にプラス10万円払ってでもあなたは買う?


もしもの話として、確信犯的なヒラメ顔ではなくてXXと同じ顔を持っていたら…、シルビアとガゼールのように保守的なカリーナと同じ面立ちで申し訳程度にグリルだけ替えていたら…、三代目セリカの評価はまるっきり変わっていたかもしれない。