日本のフュージョンバンド プリズムが1985年に発表した通算10枚目のアルバム。
フュージョンと呼ばれるカテゴリーの前身、クロスオーバー、日本の音楽界にそのブームが到来した1977年のデビューアルバム『PRISM』以来、毎年アルバムを発表していった一方で、アルバムを制作するたびにメンバーチェンジを繰り返していった。ようやく1981年からは、和田アキラ(ギター)、渡辺建(ベース)、中村哲(キーボード&サックス)、青山純(ドラムス)による4ピースのバンド形態となっていき、以降しばらくはメンバーが固定されていくのだが…、この面子ではプログレッシヴ・ロックのインスト音楽を追求していったことで、プリズムはマニアックな存在となっていく。同世代のカシオペアやスクエアより早いデビューもあってシーンをリードにしていたのにかかわらず、それが原因でファン離れを引き起こす。そして、流行りものであるポップスのように外側へ求めるものではなく、内側へ音楽を追求していったのが仇となって、前作にあたる1983年発表の『∞ 永久機関』は"考えすぎ"た末の失敗作と自ら烙印を押すことに。
1984年1月、『∞ 永久機関』のプロモーション・ライブ・ツアーを終えたプリズムはレコード会社との契約終了もあって活動休止に入る。一からやり直さなければならないのに繰り返されるメンバーチェンジ、思っていたものとは違うものが出来てしまう作品制作の虚無感が、オリジナルメンバーである和田アキラと渡辺建にとってプリズムとは疲弊するだけの"重いもの"に成り下がって遠ざけてしまったのである。ファンの眼からもプリズムは終わったバンドに映っていたけれど、二人は有能なミュージシャンであり、和田アキラは松岡直也や深町純とのコラボレーション、渡辺建は渡辺香津美のMOBOや萩原健一のバックバンドを続けることによって、充分に個の存在を築いていた。
また、この休止期間中に和田アキラは企画モノを含めて三枚ものソロ名義によるアルバムを制作していき、創作に対する意欲は失ってはなかった。そして、その中の一枚、『YELLOW MOON』がプリズム再興を促すことになる。深町純らレコーディング・メンバーがサポートに就くことで、バンドではなくて、和田アキラ・渡辺建の双頭ユニットとして復活。二人のやりたいことをもっと自由に、もっとストレートに表現出来たアルバムが『NOTHIN' UNUSUAL』なのである。