昨年に引き続き、来月5月19日(日)にTBSチャンネルにおいて、『ザ・ベストテン』の放送が決定された。今年は1979年4月5日オンエア分のもので、西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」が9999点の満点で第1位を獲った記念すべき回である。

 

TBSチャンネル公式 「ザ・ベストテン」(1979年4月5日放送)紹介

http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/o2279/

 

昨年は初回放送とリピート一回の計二回かぎりであったから、おそらく今年放送するものもそれに準拠するのであろう。

 

昨年のも、そして今年のも観てみると、あることに気付くと思う。

 

どちらの回も、若手のアイドル歌手と呼ばれる人が少ないことに。昨年の3月15日オンエア分は年度末間近、今年の4月5日オンエア分は年度初めであるから、毎年暮れの新人賞レース決勝に向けて、この時期にデビュー曲を発表するその年の新人は条件的にまだ出て来られないにしても、昨年の3月15日オンエア分唯一の女性アイドル歌手であった山口百恵は当時20歳ながら1973年デビューというキャリア七年目に達した中堅どころの域で、前年1978年デビューのフレッシュなアイドル歌手がいないのだ。今年の4月5日オンエア分もそうだ。山口百恵に加え、既に下り坂に入ったピンクレディーぐらいで、西城秀樹はアイドル歌手と呼ばれるのから脱する頃、あとは布施明、沢田研二らベテラン、他の半分は、当時"ニューミュージック"と一括りに呼ばれたロック系のアーティストばかりなのである。だから、『ザ・ベストテン』を若手アイドル歌手の出演番組として、前年のや今年放送のを期待して観ると拍子抜けを食らう。

 

アイドル歌手の分野にも好不調の波があり、1970年代後半は不調が続いていた。売れていたのは前年1978年デビューの石野真子が男女アイドル通じて、というかんじで。この1979年のデビュー組はさらに酷く、かろうじて倉田まり子や井上望くらいである(懐古趣味以外の人は、たぶん顔も名前も覚えてないだろう)。その空席を補うように、桑江知子、竹内まりや、杏里らアーティスト志向の高かった"ニューミュージック"の人たちがテレビ出演して本意ではないアイドルまがいのことをさせられていたり、この年の新人賞レースにも参戦していた。

 

『ザ・ベストテン』という番組は、世の中でどの曲が流行っているか、タイトル通り一から十番目まで決定して発表していく番組である。その決定要素は、レコード売り上げ順位ばかりではなく、ラジオ番組と有線放送の順位、それから番組宛てに送られてくるリクエストはがきの分量で順位が導き出される。とくにそのリクエストはがきは重要視されていて、占める割合が大きい。アーティスト系がレコードセールスに強いのは道理で判るが、この時期はリクエストはがきでも支えられていたのだ。若手のアイドル歌手たちは、お得意様であるはずのテレビの視聴者にも受けいられずに、高視聴率番組『ザ・ベストテン』出演はじつに難関であった。

 

1980年代に入ると、その状況はガラリと変わる。アーティスト系のレコードは売れても、テレビに出て歌っている姿を拝みたいと願うリクエストはがきの分量はだいぶ減ったことから出演数は少なくなり、若手のアイドル歌手がそれに取って代わって占めるようになる。1970年代には成しえなかった、いきなりの新人というのまで。この放送から一年後の1980年4月1日に歌手デビューし、四か月半後にはランクインして以後常連となった松田聖子はその象徴であろう。先頃発売された『週刊ポスト』最新号の懐古記事で、松田聖子を手掛けたレコード会社側プロデューサー・若松宗雄のインタビュー記事が載っていて、ネット記事でもそのまんま掲載されていたので紹介しておこう。

 

NEWSポストセブン 松田聖子を発掘した若松宗雄氏、テープを聞いた瞬間の衝撃

https://www.news-postseven.com/archives/20190418_1352886.html

 

中学時代からアイドル歌手に憧れていて、全国開催規模のオーディションの地区大会に参加して優勝するも、上級職の国家公務員であった厳格な父親(さらに、地元では旧家)の反対にあって出場辞退に追い込まれ、それからもなかなかデビュー出来ずに時間を要したのは知られる話である。しかし、いまとなっては結果的に、いや時間的といったらいいのか、タイミングが抜群に良かったのである。もしも、すんなりデビュー出来たとしたら1979年デビュー組となる。いくら本人の実力があり、バックのプロデューサーが長けていたとしても、"ニューミュージック"勢が猛威を振るっていた時期には順風満帆な船出とは行かなかったはずだ。

 

先鞭をつけた松田聖子に、河合奈保子、トシちゃんやマッチの男性アイドル、そして花の82年組が毎回入れ替わり立ち替わり…

 

番組は1970年代末に入る1978年から始まって1980年代末の1989年まで続いたのだが、おそらく多くの人々の記憶にあり、語り合う『ザ・ベストテン』のイメージはこの1980年代前半部分だけであろう。そこに9999点の満点を獲得したヒデキの「YOUNG MAN(YM.C.A)」が強烈なインパクトとしてゴッチャに入っている。だがしかし、その9999点の「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」は、番組が若手アイドル全盛となる前の時代の、"ニューミュージック"勢がひしめくなかで成し遂げられたのだった。