いまから40年ほど前、1973年生まれの自分が幼少のころ、第3次怪獣ブームというものがあった。TBSと円谷プロが制作した特撮ヒーロー番組『ウルトラマン』のシリーズを中心にしたもので、本放送による新作よりも、もっぱら再放送による旧作のほうが人気であった。関東圏ではTBSで土曜朝7時に週一での『ウルトラセブン』と平日月曜~金曜早朝6時台にそれ以外のウルトラマンシリーズの再放送がなされている。とにかく子供はみんな観ているんじゃないかってくらい視聴率がすごくて、平日の朝6時台なんてのは、他局が0~2%台という通称“視力検査”と呼ばれるものしか獲れなかったところ、7~10%台の驚異的な数字を獲っていたほどだ。この第3次怪獣ブームに乗ったかたちで、ブーム真っ只中の1979年夏、フジテレビでも平日と土曜の早朝に『ウルトラQ』の再放送が始まった。今回は、その話。

 

まず、その前に『ウルトラQ』のことを掻い摘んで説明させていただくと、『ウルトラマン』(1966年7月~1967年4月まで放送)の前番組(1966年1月~7月まで放送)で、同じTBS-円谷プロの制作による特撮ドラマである。ただ、ウルトラマンのような巨大ヒーローは出てこないし、怪獣や宇宙人を退治するための防衛組織も出てこない。ウルトラマンシリーズとしては始祖ではあるが、かなり異端なものなのである。しかし、それ以上に異端なのは、カラー番組ではなくモノクロ番組であったことだ。

 

1970年代末、カラーテレビは全世帯へすでに普及したことで、テレビ番組はすべてカラー番組で制作および放送されていて、再放送のドラマやアニメ番組もカラーで制作されたものに絞られていた。ゆえに、ウルトラマンシリーズを中心とした空前の第3次怪獣ブーム下でも、『ウルトラQ』の再放送は難しいと見られたのだけど、そんな当時の常識を覆して7年ぶりの再放送がかなったのだ。前年の1978年、フジテレビは夕方のローカル時間帯で『ウルトラマン』を放送していたが、この時期に関東でウルトラマンシリーズを観ていた人にとっては、制作局のTBSによる再放送がスタンダードであり、フジテレビでの放送も含め、すべての面において、いかにイレギュラーだったか伺えよう。

 

放送開始日の読売新聞テレビ欄より

 

TBS系列で今年放送の深夜ドラマ『怪獣倶楽部』に出てきたような青年層の怪獣特撮ファンにとって、『ウルトラQ』再放送は、まさに“事件”であり、これを機にビデオデッキを購入した逸話がいくつも聞かれるけれど、ふつうの家庭にとってはビデオデッキは、まだまだ高嶺の花の存在だった。ましてや、“子供が観る子供番組の再放送を録るため”にサラリーマンの月給二か月分を払った話など聞いたことがない。上述したように、多くの子供は頑張って早起きしてウルトラマンシリーズの再放送をオンタイムで視聴していた。自分の記憶を辿ると、6時から6時10分の間に起きて、6時20分から始まる再放送に向けて、それまでに洗面と歯磨き、着替えを急いで済ませて、TBSがその日の放送開始を告げるフィラー映像を観ながら待つというパターンであった。そこにフジテレビの『ウルトラQ』再放送は、なんと6時ジャストから放送しだす。およそ30分も前倒ししなくてはならなかったが、苦にはならなかった。そんなことよりも、6時から始まるフジテレビ『ウルトラQ』再放送は、6時20分から始まるTBS『帰ってきたウルトラマン』の再放送と微妙に被るから、観ていて悩ましかった記憶がある。それで、TBS『帰ってきたウルトラマン』のほうの“オープニングの歌を見捨てる!”という視聴の仕方に落ち着く。ただ、保育園児でそこまで力をいれていて観ていた人は少ないと思う。当時、近所の友人たちに「観てる?」と尋ねたことがあって、「観てない」と。「白黒だから」とか「ウルトラマン出てないし」と。昨日、高校時代の同級生と飲んでて、リサーチしてみたところ、TBSの方でやっていた早朝の再放送は覚えているけど、やはりフジテレビ『ウルトラQ』再放送は全く記憶にないとのこと。まあそうだろうな。自分の年代では、TBSの再放送だけじゃなく、フジテレビの『ウルトラQ』再放送まで観ていた人が大人になってもその手のマニアでいられたんじゃなかろうか。だから、いまも『ウルトラQ』を観るたびに、人生初体験だったモノクロ番組への物珍しさ、ワンパターンじゃない怪獣特撮への興味と、1979年夏に惹かれたフジテレビの再放送を思い出す。

 

さて、この時期のフジテレビはモノクロ番組の放送に力を入れていた。『ウルトラQ』再放送が8月末に終わるのとクロスフェイドして、夕方4時半からはモノクロで制作されたアニメ番組『ゲゲゲの鬼太郎』の第1シリーズを放送しだしたし、平日深夜にはモノクロの古いアメドラ『アンタッチャブル』を放送している(なお、同時期の他局ではどこもモノクロ番組の再放送は行われていない)。また、翌1980年春には、黒澤明監督映画作品の放送権をまとめて入手してテレビ初放送していくのだけど、モノクロだったことに加え、監督の意向でテレビ画面サイズにトリミングせずにオリジナルのまま(シネスコだったらシネスコのまま)だったため、プライムタイム帯に放送したそれは不評を買ったとのことである。