いまスカパー!では奇遇にも故・沖雅也がともに1980年に出演したテレビドラマを放送している。


● ファミリー劇場 『太陽にほえろ!』(沖が演じたスコッチ刑事が復帰したばかりの1980年春頃を放送)

http://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=00116


● 時代劇専門チャンネル 『江戸の朝焼け』(1980年9月~)

http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000768.html


いまでは考えられないことだが、バラエティー番組が氾濫する前の1980年代初頭まで一週間に放送されるテレビドラマは尋常じゃない数であった。例を挙げるとすれば、1980年頃、刑事ドラマで10作品前後、時代劇で15作品前後あったし、“ドラマのTBS”と讃えられていたそのTBSでは昼ドラなどの帯ドラマを一本と換算しても週に20作品(再放送は除く)も放送していたのだ。


そういった事情で、主演級の俳優でも連続ドラマを掛け持ち出演するのが当たり前となっていた。沖雅也はその典型的な存在で、刑事ドラマの日本テレビ『太陽にほえろ!』と併行して、時代劇であるフジテレビ『同心部屋御用帳 新・江戸の旋風』と後番組『江戸の朝焼け』に立て続けに出演。また、この間にミニシリーズで放送された朝日放送(テレビ朝日系列)『赤かぶ検事奮戦記』全5本のうち4本に、山口百恵の引退映画『古都』にも出演するなどしている。


昨年、TBSの『爆報!THE フライデー』という番組で“沖雅也の死”が取り上げられた際、亡くなる二年前の1981年に過労で入院した病院からテレビレポーターのインタビューに応じてる映像が紹介されていた。それによれば、「台本を10~14冊くらい持っていた、一週間に」と過労の原因を自己分析。沖がレギュラー出演していた『太陽にほえろ!』と「江戸シリーズ」は一話完結の連続ドラマであったので、コスト削減のために二本撮りで撮影していたことから二作品×二本で4冊、次回撮影分も含めると倍の8冊、それから『太陽にほえろ!』では撮影がAB班の二班体制だったり、さらに単発的に入る他のドラマや年一本の割合で出ていた映画、出るか出ないかは別にして出演検討作品の台本も含めればたしかに10~14冊となるので、言っていることは全く持って大げさなことでもない。


数年前、沖の軌跡を辿る『沖雅也と「大追跡」 -70年代が生んだアクションの寵児』という本が出版された。『太陽にほえろ!』のスコッチ刑事役で出演した一年後、同じ日本テレビ-東宝の制作で作られたアクション刑事ドラマ『大追跡』(1978年4月~9月)に出演していた当時を中心に振り返ったものである。


沖雅也と「大追跡」―70年代が生んだアクションの寵児/ワイズ出版

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この本を読んで目から鱗が落ちたことが一つある。数々のテレビドラマで印象的な役柄を演じた沖ではあったが、一方で映画出演作になると代表作になるものがないし、主演作というとほんのわずかしかないのだ。沖は元々日活出身であり、映画から俳優キャリアをスタートさせたものの、数々の不運に見舞われる。名作となった青春映画『八月の濡れた砂』に主演が決まっていたのに怪我で降板させられていたり、映画産業が斜陽のなかで日活がロマンポルノ路線に移行したことによって、映画からテレビの世界に移らざるを得なかった。


ただし、沖自身は伸び盛りの頃ともあって出演依頼は引く手数多。それに応えるように、テレビドラマに活動の場を移してからは、ほとんど途切れることなく出演し続け、同時期にいくつもの掛け持ち出演もこなしている。何故そうしていたのか?、著者によると、「主演映画を望んでいたから」と推論している。1979年、沖は自身最大の当たり役となった主演テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の最中に、同じ東宝制作で作られた映画に出演している。演技はド素人だった歌手・河島英五主演によるブラックコメディー映画『トラブルマン 笑うと殺すゾ』に敵役で。案の定、失敗したこの映画、さほど面白いものでもないし、沖がやった役はあまり魅力的とも言えないものだった。


私見ではあるが、当時は圧倒的に映画よりもテレビドラマの方が良い物が作られていた時代であった。それでも、沖は映画に拘り続けた。テレビドラマで顔を売り続け、そして映画でその感覚を無くさないようにしていたのだろう。しかし、沖に見合った映画主演作は作られることはなかった。人気者だし、実力も兼ね備えていたので、おそらく話はあったかと思う。主演で出るからには高みを望んでしまったのだろうか・・・。


1980年春、前年から始まったTBS『3年B組 金八先生』の大人気によって視聴率的に窮地に追い込まれた日本テレビ『太陽にほえろ!』が反撃の“一の矢”として、当時すでに伝説的な人気だったスコッチ刑事役で復帰(ちなみに、“二の矢”は神田正輝出演)。同時期レギュラー出演していたフジテレビ『同心部屋御用帳 新・江戸の旋風』が終了した9月からの後番組『江戸の朝焼け』では主演に抜擢と、沖にとってはキャリアのピークを迎える。


しかし、翌1981年4月に過労の末に交通事故を起こしてしまい入院。『太陽にほえろ!』出演を長期欠場してしまうなど、それまでの頑張りが脆くも崩れてしまった。これ以後、沖の輝きも無くなっていったように感じる。そして、1983年の死。


だから、主演作『江戸の朝焼け』は最後の輝きが観られるものかと思う。