今月発売された『ただいま絶好調!』DVD-BOX収録分の全16話をほぼ一気に観てしまった。ドラマの内容の紹介は、そのDVD-BOX発売が発表された今年一月に書いた記事で紹介 したので割愛するとして、今回はその『ただいま絶好調!』にも出ている渡哲也について考察していきたい。


1984年10月、『西部警察』シリーズが終了後、渡哲也は翌週から始まった後番組『私鉄沿線97分署』に引き続き出演。そして半年後の1985年4月から始まった石原プロ製作『ただいま絶好調!』にも掛け持ち出演をしていく。しかし、どちらも主演でもなければ主演とともに中心になって動くキャラクターでもなく、出番がそれほどない脇役に廻っていた。良く言えば作品の要石的なキャスティングとも言えるし、悪い言い方すれば渡哲也のネームバリューを使った客寄せパンダ的なキャスティングにすぎなかった。


これはどうしたことか?


じつのところ、『西部警察』シリーズの後半、渡哲也は疲弊しきっていた。1979年10月スタートから丸五年の間、他のドラマや映画に出ることなく、毎週ずっと大門団長というキャラクターだけを演じ、さらに『西部警察』の前身で日本テレビで放送されていた『大都会PARTⅢ』でも名前だけ違った同じキャラで1978年10月からの一年(最終回から一ヶ月後には『西部警察』第一回がスタート)も含めれば、丸六年も毎週同じキャラを演じていたのである。


今年、石原裕次郎の没後二十五年記念しての特集と表紙を飾った男性ファッション誌『Men's EX』での渡のインタビューによれば、『西部警察』の後期になると、(『太陽にほえろ!』で石原裕次郎演じるボスのごとく)無線番か電話番になってしまっていたから、毎回同じような話の展開なので、事件が起こった現場の地名とか犯人の名前が変わるだけとしか認識を持てなくなってしまったという。主演でありながらも、このやる気のなさは、衣装にも表れていて、毎回おなじみの紺の三つ揃いのスーツという出で立ちだったり、ネクタイも柄物だと結び方が場面転換で繋がらなくなるという理由で無地で通したと、文中でもはっきりと「手を抜いていた」と表現してしまっている。


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インタビューは舘ひろしを交えての鼎談形式で行われた。『西部警察』シリーズのロケ撮影、舘は朝からドンパチしているのに、お昼過ぎに渡がヘリで来てショットガン放ってさようなら!?とする姿に、“早くスターになりたいなぁ”と思ったらしい(笑)。

渡にとって『西部警察』シリーズとは、石原プロの安定的経営、そして途中病気で倒れた石原裕次郎のためにやっていたと言っても過言ではない。しかも、三十代後半から四十代半ばにかけての俳優として一番光る年代のキャリアをそれに捧げたのである。


渡と同じ1941年生まれで、同じ日活出身、そして同じように映画が斜陽となってからはテレビドラマへと活路を見いだした俳優に藤竜也がいる。70年代から80年代の藤竜也は、半年仕事をすれば、次の半年はリフレッシュのためにオフにしていたと、実に俳優らしいライフスタイルそのもの。また、刑事ドラマや探偵ドラマなどのアクションものにも出れば、ホームドラマにも出るし、大人の恋愛ドラマにだって出ている。この間に多くの俳優の本望である“本編”=映画の主演だって幾つもこなしている。それから、渡の三歳下の弟である渡瀬恒彦もまた藤竜也と同じように、この時期からテレビドラマや映画で、アクションから恋愛、そして人間ドラマまで幅広くこなしている。


だけど、渡は1978年春から半年間、主演ドラマ『浮浪雲』でコミカルかつ人間味溢れた、自身でも気に入っているという“雲”というキャラクターを演じて以降は、前述の通り、70年代後半から80年代半ばに掛けては、『大都会 PARTⅢ』とそれに続く『西部警察』シリーズでのルーチンワークしかなかったのである。日曜夜8時の『西部警察』シリーズはプロ野球のナイター中継でツブれる以外は毎週放送されていたから休養期間もなかったし、当時は評価される作品でもなかった。たしかにこれでは腐ってしまって手を抜いていたことも肯けるというもの。そんな『西部警察』シリーズもいよいよ終わりを告げることになった。


『西部警察 PARTⅢ』の最終回スペシャル「大門死す!男たちよ永遠に・・・」(1984年10月22日放送)にメインゲストで渡より一歳上の原田芳雄が出演している。渡主演の日活映画『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』以来の共演となった。原田の役どころは、日本を震撼させる非情なテロリスト役で、まあ『西部警察』らしい荒唐無稽なキャラクターなのだが、これがじつに名優・原田らしく演じている。テロリストという正体隠して、そのテロリストの情報教えるジャーナリストに化けて渡演じる大門団長を営業準備中の閑散としたバーに呼び出すという場面がある。原田と渡の二人芝居で、ここでの原田、おそらくアドリブなのだろうか、唐突に飲んでいるコーヒーの講釈垂れたり、抑揚の付いた台詞回しでじつに豊かな演技をしてくる。一方の渡はいつもの寡黙な演技で通すだけ。誰が観ても原田が圧倒しているのだ。


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このとき、推測ではあるが、渡は「やばいな・・・」と感じたんじゃなかろうか。『西部警察』を終えることは渡にとって悲願であったことに違いない。それで最終回の撮影の頃には俳優としての次のステップを具体的に考えていたのであろうが、この決定的ともいえる原田芳雄との共演で、ルーチンワークに漬かって、いつしか手抜き覚えたりした六年間と引き替えに役者の本懐を無くしてしまったことに気付いたんじゃないかと。心のどこかにそれがあったとしても、現実として原田の引き出しの多い演技と対峙してしまうと、一から役者・渡哲也を作り直さなければならなかったことに思い知らされたはず。


なので、心身ともに疲弊してたのに加えて、(いまは)大役も難しい役もやるような器量がないと、『西部警察』終了からしばらくは、あえてのリハビリ期間に充てていたのではないのかと考える。


1986年、石原裕次郎の体調がいよいよ悪化して、レギュラー番組だった『太陽にほえろ!』の出演がこれ以上困難になる事態が発生する。この頃、『太陽にほえろ!』は視聴率的にも話題的にもかつての盛り上がりとは程遠かった。それでも日本テレビと制作陣は番組続けるつもりだったのだが、石原裕次郎降板となるからには番組終了の決断せざるを得なかった。そこで、石原プロ側は最終回までの1クール13回分、石原に替わって渡を代理出演させる。


渡出演は好意的に受け止められ、かなり話題になったし、視聴率にも反映された。しかし、渡の役どころはまるで『太陽にほえろ!』のキャラらしくない。本庁からの出向という立場で七曲署捜査一係の刑事魂一筋に染まることもなく、最終回に石原裕次郎演じるボスが復帰すると本庁に帰還していくというサバサバしたもの。これもまた推測するに、渡がOKすれば代理ではなく二代目ボスとして長期出演して、番組も継続していったのかも。その場合、もっと『太陽にほえろ!』に寄り添ったキャラになっていたかもしれない。が、『西部警察』の大門団長役でルーチンワークに陥った轍を似たような番組作りの『太陽にほえろ!』でも踏むことは嫌がったのだろう。この時期、渡はようやく映画出演や単発ドラマの主演などやる気を出していたのだから。


『西部警察』シリーズ終了以降も引き続き石原裕次郎の名代果たしつつ、ようやく一俳優として自分本位な活動を掴みかけていた。が、1987年7月に石原裕次郎が亡くなると、それは脆くも崩れ去り、再び石原プロの安定的経営と石原裕次郎のために身を捧げる活動に没していくことになる。一時は解散がまことしやかに囁かれていた石原プロの二代目社長に就任してそれを収束し、そして石原プロが『ただいま絶好調!』終了以来三年半ぶりに製作活動となった、『西部警察』の夢よもう一度!の1989年4月から始まる『ゴリラ 警視庁捜査第8班』である。このことは機会を変えてまたいつか。